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下町音楽夜話

◆第278曲◆ バラードの時代

2007.10.20
1972年10月第3週のポップス・ベスト10は以下のような状況だった。
1. アローン・アゲイン / ギルバート・オサリヴァン
2. ブラック・アンド・ホワイト / スリー・ドッグ・ナイト
3. サタデイ・イン・ザ・パーク / シカゴ
4. 秋はひとりぼっち / ヴィグラスとオズボーン
5. ゴッドファーザー愛のテーマ / アンディ・ウィリアムズ
6. ハイウェイ・スター / ディープ・パープル
7. シーモンの涙 / イングランド・ダンとジョン・フォード
8. ダンカンの歌 / ポール・サイモン
9. 灰色の朝 / ブレッド
10. 愛にさよならを / カーペンターズ

「ハイウェイ・スター」を除けば、1970年代を代表する名バラードのオン・パレードである。これで、11位のミッシェル・ポルナレフの「渚の想い出」や12位のブレッドの「ギター・マン」が、もしくはこの後チャートを駆け上がってくるミッシェル・ポルナレフの「愛の休日」が、6位の「ハイウェイ・スター」と入れ替わっていたら、もうバラードで埋め尽くされるということになってしまうが、そこはさすがに、世の中のバランスというものがあるからか、ハードなロックも頑張っていた。ハードなロックは決して嫌いではないので、バラードばかり聴いていると飽きてしまうことも重々承知の上だが、やはりこのチャートは凄い。名曲だらけである。年齢的なものもあるのだろうが、自分はこのバラードの時代ともいうべき時、まだ小学校6年生である。夜の冷たくなった空気を楽しむ余裕もなかったし、恋愛感情と重ねてバラードを聴くこともしなかった。無理である。当然ながら、流すようなスピードでドライヴをしながら聴くバラードの楽しみも、まだ知らなかった。本当の意味でのバラードの楽しみを知ったのは、やはり酒の味を知ってからだろう。

しかし、そういったバラードの楽しみとは全く別のかたちで、自分はギルバート・オサリヴァンの「アローン・アゲイン」のメロディが大好きだった。同様にシカゴの「サタデイ・イン・ザ・パーク」も大好きだった。出だしのピアノのコード弾きが好きで、好きで、よく口ずさんでいたのだ。何せ、子ども心に思ったものだ。これが現実的なスピードだ、と。エルトン・ジョンの曲も好きだったが、エルトン・ジョンの速弾きのテクニックは相当のもので、真似てみたいと思わせるものではなかった。後にヒットした「ベニー・アンド・ザ・ジェッツ」の出だしだけは、例外的にこの2曲と同類のように思うが、ほかの曲は、とても弾けるとは思えなかった。実際、相当テクニックがありそうなピアニストが、ホテルのロビーのようなところでエルトン・ジョンの曲を演奏しているのを耳にしたことがあるが、あれはどうもウマイ、ヘタ、という問題ではないようで、オリジナルより正確にエルトン・ジョンの曲を弾いても、全然格好良くはないのである。ご理解いただけると思うが、往々にして音楽というものはそういうものである。ヘタでもいいものはいいのだ。そして、エルトン・ジョンは、そういう部分に加えて、実に上手いということのようだ。

自分は、後にこういった曲の楽譜を買って眺めたりもした。それほど好きだった。これらの曲の魅力を、もっともっと掘り下げて理解したかった。しかし、自分の場合、ギターやベースは弾けても、ピアノは弾けないので、一層その憧れに近い感覚が深まったように思う。ミドル・テンポで何となく自分でも弾けそうに思うところが、これらの曲の共通した魅力でもあって、「演奏する」という楽しみ方の方向に導いてくれた曲でもあるのだ。実際に楽器を手にするようになるのは、もっともっと後だし、その頃にはまた別のタイプの音楽が演奏したくなっていたので、この辺の曲をやったことはない。それでも、これらの曲を聴くたびに、演奏したいという思いが、いまだに強く蘇る。

一方で、サイモン&ガーファンクルが解散してから、魅力的な男声コーラスの2人組が次々とヒットを飛ばした。ヴィグラス&オズボーン、イングランド・ダン&ジョン・フォード、シールズ&クロフツなどだ。とりわけ、ここでチャート・インしている「秋はひとりぼっち」と「シーモンの涙」は大好きな曲だった。哀愁のメロディとでも言おうか、聴くたびに切なくなってしまうメロディの魅力を、小学校6年生の子どもが理解していたかどうかは、少々疑問に思わなくもないのだが、2声が美しく重なる瞬間の魔力は、当時から理解していたと思う。どんなに、ボブ・ディランがいいと言ったところで、サイモン&ガーファンクルのほうが好きだ、という人間は多いと思う。また、スリー・ドッグ・ナイトの魅力も、近いところにあるか。そんなコーラスというものの魅力を教えてくれた、有り難い曲でもあったのだ。

この後、チャートの中心はロックに移行し、次にディスコ・ブームもあって、白人も黒人もなく、みなソウルフルになっていく。AORブームや産業ロック、ビジュアル系の様式美化したヘヴィメタがチャートを席巻した時代もあった。スクラッチやラップの登場以降は、チャートのメイン・ストリームからロックの影は薄くなっていく一方だが、今のようにR&B中心のチャートの時代がくるということを、この時点で誰が予測しえただろうか。パンクだ、ニュー・ウェーブだ、テクノだ、オルタナだ、グランジだ、ネオアコだ、・・・もういいって。この後の変化があまりに激しかったもので、余計に懐かしさがリアリティを持っているのかも知れない。しかし、ここでいうバラードの時代は、白人だらけだった。ロバータ・フラックなどの黒人シンガーのバラードにも素晴らしいものがいっぱいあった時代だったが、たまたまだろうか。如何せん、後にも先にも、こんなチャートはなかったように思う。

音楽を単なるデータとして考えるような時代にあって、レコード・ジャケットを愛でたり、部屋に飾る楽しみなどは、現代の音楽には望み得ないのだろう。古いパッケージ・メディアの、しかも不便なほど大きい入れ物に魅力を感じることなど、到底考えられまい。我々の世代は、不便だったかも知れないが、反面、ラッキーだったと思う。レコードの魅力にどっぷり浸りながら、名曲だらけのバラードの時代をリアルタイムで楽しめたのだから。


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