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下町音楽夜話

◆第290曲◆ ビートルズ的

2008.1.12
年末年始は、ふつうであればバタバタしているものだ。ところが諸般の事情からまとまった空き時間ができたりするから、素直に喜ぶべきなのだろう。おかげで、以前からまとまった時間があればと思っていたビートルズの5枚組DVD「アンソロジー」を観ることにした。トータルで11時間強という猛烈なボリュームである。これはさすがに楽しめた。マニアが見ればそれなりに貴重な映像や音源ばかりだろうと思われるが、自分の場合はマニアというほどではない。それでも、泣ける部分もあれば、意外な発見もある。この中でメンバーが昔好きだったという「女はそれを我慢できない」(随分なタイトルだが、一応ロックン・ロールのミュージシャンがいっぱい出てくる音楽映画である)も、興味が湧いてしまい、DVDを注文した。最近少しずつ買い集めているボブ・ディランの音源も、メンバーがみな口を揃えて好きだったと証言しているので、あらためて聴きなおしている。そして、勿論ビートルズのアルバムも、聴きなおしてみて、とにかく余韻のようなものを楽しんでいるというわけだ。

やはり時間があるというのは、いいことだ。以前なら、絶対に「アンソロジー」を見る時間なんてないな、と思っていたのだから、では何故購入したんだと思わなくもないが、そんな反省もどこ吹く風、これからはガンガン長時間のDVDも観てみようと思う。別に仕事がヒマになったとは思わないが、最近では努力と工夫次第で時間は作り出せると考えている。こういった文章でさえも、いろいろな家事を同時にこなしながら書いている。事情を知らない人間からすると、おかしくなったかと思われかねない様かも知れない。とにかく、もう「忙しい」という言葉を口にすることは止めにしようと思っている。すべての人間が平等に与えられている一日24時間という時間は、工夫次第で数倍の結果を生む。仕事や予定が詰まっているときのほうが、音楽を聴く時間も増えていることが、また面白くてならない。これ、すべて趣味的に読んでいるビジネス書によくある自己マネジメントを実践してみて、実現したことである。意外なところに効果が見えてきて、ひそかに喜んでいるといったところなのである。

さて、ビートルズに話を戻そう。そもそも、ビートルズそのものが、初期は普通にカヴァー曲中心のロックン・ロール・バンドだったし、後期はスタジオで作り込んだアルバムとはいえ、ハードなロックからバラードまで、結構バラエティに富んだ内容であることは周知のことだろう。否定されることを承知で単純化してみると、やはりクラシック的な要素も見せるポール・マッカートニーと、純粋のロックン・ローラー、ジョン・レノンという、異なる個性の2人が作曲を分担していたとすれば、多様な側面を持っていることは否めない。その2人の音楽嗜好が結合したことで、猛烈な化学反応が起きたことも事実だろう。

では「ビートルズ的」と言ったときに、どういうものを指しているのだろうか。全然違う個性をもった2人なのに、これがレノン=マッカートニーとして、つまりビートルズとして、作曲したものには、通底する個性があることもまた厳然たる事実のようだ。原則的に自分の曲は自分で歌っていたようなので、どちらが作った曲かは判るとしても、本人たちも「ビートルズ的」ということを意識して曲作りをしていたとしたら、やはり判別することは難しいだろう。いずれにせよ、グッド・メロディメイカーが複数(晩年はジョージ・ハリスンもいい曲を書くようになったので、3人と言うべきか)いて、一つの個性を作り上げていたと考えるべきなのだろう。そうすれば、あれだけ強固な共同体意識をもつに至ったことも、あわせて理解できるような気がする。当然ながら、ジョージ・マーティンの音だといわれても否定できないし、「ストロベリー・フィールズ・フォレバー」や「ペニーレイン」のように、インパクトよりもメロディの美しさが特筆されるレノン作品もある。実は、ポール・マッカートニーとジョン・レノンは似ていたのかも知れない、とさえ考えている。

しかし、それでもあえて思うのだが、世間一般で「ビートルズ的」という場合は、やはり、ポール・マッカートニーのポップな世界を言い表しているように思えてならないのだ。ビートルズ・フォロワーとか「ビートルズ的」と言われる連中は結構多い。代表的なところでは、バッドフィンガーのピート・ハム、スタックリッジやコーギスの中心人物のジェイムス・ウォーレン、クラウデッド・ハウスのニール・フィンなど、素晴らしいメロディを作る連中の名前が挙げられよう。では、この連中は、初期のビートルズのように、激しいロックン・ロールを演るかというと、そうでもない。やはり中期から後期の、クラシカルな要素まで覗かせるような、美しいメロディが溢れた音楽を、スタジオで作り込んでいた時期のビートルズということになるのではなかろうか。

また、この連中は、インド音楽をはじめとした、当時目新しい音を精力的に取り入れて、新境地を開拓したことも特徴と言えるが、しかし、インド音楽に最も傾倒したのはジョージ・ハリスンだったからか、そういった部分を「ビートルズ的」と評することは滅多にない。一体こういった評価を、どう解釈すればいいのだろうか。はっきりしたことは言えないが、やはりメロディアスであるということは絶対条件のようだ。加えて、一聴して鼓膜に焼きつくような、強い印象を与えるメロディが必要であろう。曲の構成はシンプルなものあれば、それなりに複雑なものもある。後期は、単なるバンド・サウンドではなく、テープを逆回転させたエフェクトやストリングスも多用されている。実はこの何でもあり的な部分が個性と言えなくもない。そう考えると難しくなってしまう。やれやれ・・・。

忙しくとも音楽を聴くのは、当然ながら心の安らぎや癒しを求めてのことが多いのだろう。それにしても、これだけ音楽のヴァリエーションが増え、しかも若者を中心に、日常生活のかなり根深いところまで音楽が入り込んできた時代になって、なおビートルズを聴くことの不思議さよ。中高年の場合であれば、確実に癒されるものとして、最も聴き馴染んだビートルズ的なものが望まれるということも理解できなくはない。あらゆるもののスピードが加速し、変化も激しい現代の生活の場において、この手の音楽に癒されるのは、若者も同じなのだろうか?音楽に刺激を求めるのであれば、今の時代、もっと、もっと、刺激が強いものはいくらでもあるはずだ。それでもなお、ビートルズ的なものが、21世紀の癒しを担うというのであれば、これはきちんとしたかたちで研究されて然るべきものなのかも知れない。


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