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下町音楽夜話

◆第304曲◆ マイニング・フォー・ゴールド

2008.4.19
最近、いろいろなことが上手くいかず、少々後ろ向きになっている。自分でそのことが判っているだけに、余計に前向きに物事を考えようとして、少し無理をしすぎていたようで、自分自身を見失っていた。本来の自分ならそうはしなかっただろうということが重なり、おまけに周囲にまでプレッシャーを与えていたのか、何もかもが上手くいかない悪循環に陥っていた。温故知新とまでは言わないが、後ろを振り返ることは決して悪いことだとは思わない。これまでどうやって上手くいかないときを乗り越えてきたかを思い出すのは、前進する推進力にもなる。困難に直面したとき、人はそれぞれに対処の方法を持っているだろうし、そうあるべきだろう。自分が、他人と同じ方法で対処できるとは、到底思えないからだ。そして、自分には音楽があることが、やはり最大の強みだと、今更ながらに思うのである。あまりに時間がなくて、満足に音楽を聴くことができないときでさえ、元気になれるメロディを思い出すだけでも落ち着けるものだ。音楽は、本当に有り難い。音楽がない生活なんて、自分には考えられない。

ふと我に返り、何をやっているんだか、と思った瞬間に、さて何を聴くべきかなと思い、引っ張りだしてきたアルバムがある。1988年にリリースされたカウボーイ・ジャンキーズの「ザ・トリニティ・セッション」という、当時死ぬほど聴いたアルバムである。当時も今と同じように、いろいろなことが上手くいかず、イライラした毎日を送っていた。結果的に仕事に没頭してあまり考えないようにしていたこともあり、家庭は崩壊し、学生時代の同級生との結婚生活は3年で終止符を打つことになった。その当時、このアルバムの刺激が少ないモノクロ写真のような暗さが心地よく、いろいろ考えるには非常に都合がよかったのだ。事実、繰り返し聴いても、決して飽きることはなかった。

カウボーイ・ジャンキーズは、ティミンズ兄弟を中心としたカナダのグループで、1970年代から活動していたといわれるが、メジャー・デビューは1980年代後半まで待つことになる。いまだに大ヒットを飛ばすような存在ではないが、アメリカのカレッジ・チャートでは、それなりに人気のあるグループである。心地よいアコースティック・サウンドを主体に、ブルース・カヴァーやトラッド・ソングなどを聴かせるが、自作曲にもなかなかよいものが多い。前述の「ザ・トリニティ・セッション」には、ルー・リードの「スイート・ジェーン」のカヴァーまで収録されている。しかし、オリジナルが何であれ、すべてカウボーイ・ジャンキーズ色に染まっているので、アルバムを通して聴いた印象は、全く奇を衒ったところがなく、耳に馴染む心地よいものだ。何と言っても、ヴォーカルのマーゴ・ティミンズの声が素敵なのだ。声質そのものが落ち着いており、人間性までそう思えてしまうのだが、彼女の声を聴いていると、イライラが解消し、不思議と落ち着いてくるので、ある意味ヒーリング・ミュージックと呼んでもよいものであろう。

さて、「ザ・トリニティ・セッション」から20年の時が経った2008年、嬉しいアルバムがリリースされた。正確にはCD付きのDVDであり、嬉しい映像ということになる。それはカウボーイ・ジャンキーズの「トリニティ・リヴィジテッド」である。オリジナルと同じ、トロントの聖トリニティ教会で収録されたもので、かなり暗めの照明のもと、車座になったミュージシャンがライヴで「ザ・トリニティ・セッション」の全曲を再現しているのである。ただし、前回とは異なるゲストが参加しており、これがまた正解だったというべき効果を見せている。まずはナタリー・マーチャントがマーゴ・ティミンズと素晴らしい掛け合いを聴かせており、これまでさほど興味がある人ではなかったが、一気に注目株になった。恐ろしく歌心のあるヴォーカルは、ただ者ではない風格すら見せており、素晴らしいの一言に尽きる。またヴィク・チェスナットという男もいい味を出している。この男も素性はよく判らないが、ともあれいい風貌なのである。

オリジナルの「ザ・トリニティ・セッション」は、経費250ドルとも言われているアルバムである。教会の中にマイク一本を立てて収録されたそのアルバムは、確かにノイズも含まれているが、教会が生み出す残響が素晴らしく、実に生々しい録音なのである。おそらくこれ以上のものは、いくら金をかけてもできないだろうと思われる、奇跡的な瞬間を捉えた録音なのだが、今回のリヴィジテッドもなかなか捨て難い出来である。こういうアルバムをリリースするくらいだから、本人たちもこのアルバムを愛しているのだろう。そのことが嬉しいとともに、日本ではあまり人気がないことが、今更に不思議でならない。

この盤の一曲目は、「マイニング・フォー・ゴールド」という、鉱山労働者の閉塞感に満ち満ちた日常を描いた労働歌である。マーゴ・ティミンズがソロで歌うこの曲が、実はこのアルバムのカラーを決定的にしてしまう哀感に満ちたもので、ここにヘタな演奏を被せなかった潔さを評価すべきなのだろう。どのアルバムにも共通していることだが、カウボーイ・ジャンキーズの音楽は、無駄なものを極限まで削ぎ落としてある、極めてシンプルなものだ。無伴奏のソロ・ヴォーカルというものを、レコーディングする勇気は相当のものだ。マーゴ・ティミンズは再度その集中力を披露しているのだから、これは凄いことだ。しかも映像である。自分にとって、このアルバムの価値は、非常に高いのだ。

下町音楽夜話の第1曲に、「あるときはとてもカワイクて素敵な女性の、顔に似合わぬハスキーな歌声とともに」というフレーズが出てくるのだが、実はカナダで研修をしていたときに宿まで送ってくれた女性のカー・ステレオから流れていたカウボーイ・ジャンキーズの「マイニング・フォー・ゴールド」に合わせて歌う、彼女の声を思い出しているのである。第1曲は、まだ試しに書いたものなので、今読み返すと非常に流れの悪い文章で恥ずかしくなるが、あの当時も実はかなり行き詰っていて、何か新しいことでも始めたい気分だったので、この下町音楽夜話を引き受けたように記憶している。そして、そのときも自分は過去を振り返り、ひどく落ち込んでいた自分が蘇生できた大きなきっかけとなったカナダでの研修のことを書いてみたのだった。今またこの曲に触れ、再び前向きになれる自分がいる。やはり音楽というものは、そういった力を与えてくれるものだと思うし、少なくとも自分はこうして、毎度、毎度、音楽に救われながら生きている。疲れたときは後ろ向きになっても構わない。人生、別に急ぐものでもない。先は長いのだから、少し速度を緩めて、力を蓄えてから、再び前を向いて歩いていければ、それでよいのではなかろうか。


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