何とも複雑な気分なのだ。著作権切れのために、1950年代のモダン・ジャズ黄金期の音源が、次々と安価でリリースされているのだ。発売しているのは、聞いたこともないレーベルの場合が多い。安く入手できるのだから、喜ばしいことと思えばいいのだが、これまでそれなりの大枚をはたいて集めてきたものも、一気に価値がなくなってしまったような気分にもなるのだ。如何せん、オリジナル音源であるにも関わらず、マイルス・デイヴィスの3枚組CDが千円前後だったりするのだ。アナログLPでは2枚分の音源を突っ込んであるCDが600円程度というものもある。ジャケットなどはオリジナルのものではないが、やはりこれは悲しい。少し前から、もう直ぐビートルズの音源が50年になってしまうというので、大騒ぎをしているという情報が流れていたのだが、それ以前の音源は当然ながら、その前に50年がやってきてしまう。
最近盛んに著作権の将来について語られることが多い。著作権法が規定するのはあくまで財産権に関するものであり、その権利を侵害することに対して処罰を加えるような規制法とは性格が違うのである。そのためにグレーゾーンと呼ばれる曖昧な部分が存在することになり、実はこのグレーゾーンが近未来の経済を大きく動かすものにもなりかねないのだ。非常に難しい問題なのだが、例えばある著作物について紹介する文章や情報、もっといえば音源やジャケット画像などをインターネットに掲載した場合、通常であれば著作権の侵害と言われても仕方のない一面もあるのだが、その一方でその著作物に日があたることで権利者に大きな収益をもたらすこともあり得るわけだ。この辺の法整備は一向に捗らないのだが、経済社会の変化のスピードが速すぎて、法律がついていけてないのだろうか。最近ではユーチューブの動画に舞台が移ってしまったが、グレーゾーンの問題は簡単に片が付くものではない。
さて、その一方で、50周年記念盤という嬉しいものもリリースされた。50年前の1958年にリリースされたモダン・ジャズを代表する一枚、マイルス・デイヴィスの「カインド・オブ・ブルー」である。もう20世紀のジャズ史を代表すると言っても過言ではあるまい。累計1千万枚を越える売り上げを誇るというから凄い。大名曲「ソー・ホワット」で時代を変えてしまったと言うこともできるし、いまだにあの曲を超える曲は世に出ていないとも言える。他にも「フレディ・フリーローダー」や「ブルー・イン・グリーン」などといった名曲も収録されており、アルバムとしての完成度も抜群に高い一枚である。その50周年記念盤がリリースされたのだ。これは個人的には今年最大のニュースなのである。
しかし、どういうわけか、世の中があまり騒がないなと不思議に思っていた。何せ日本でも非常に人気がある盤なので、当然のように時期を同じくして日本盤がリリースされてもよさそうなのだが、今のところ出る気配がない。自分は輸入盤で全然問題ないので、さっさと予約して入手してしまったが、ちょいと気になる。CD2枚に加えて、ドキュメンタリーのDVDが一枚と、青いカラー・ヴィニールの180グラム重量盤のアナログ盤LPがセットになっている。60ページに及ぶブックレットや大型のポスターなど、これでもかといった内容物なのだから、もう少し値段が高くてもおかしくはないのだが、1万円ちょいと安いとも思えるお値段である。
よくよく考えてみれば直ぐ分かることだったのだが、未発表音源を含むCD2枚の音源がさほど騒ぐほどのものが含まれていないのだ。CDの2枚目はこのときのメンバーのファースト・セッションを収録したとあるが、6曲のうち5曲は「1958マイルス」という既発のアルバムと同一音源なのである。従って未発表というべきものは、ほんの少しだけなのである。しかし、だ。その6曲の残る1曲は、大名曲「ソー・ホワット」だし、その他の曲のスタジオ・シークェンスも1枚目にたっぷり収録されているのである。このアルバムが好きであれば、やはり買いであろうと思われるのだが、やはり、これは贔屓目ということなのだろうか。
実は「1958マイルス」、自分にとっては、マイルスのアルバムの中でも五指に入る大好きな盤なのである。そういう意味では、CDの2枚目は「1958マイルス」のコンプリートとも言えるものなのだ。それだけでも、多分自分は、買い直すだろう。この音源、1曲目はビル・エヴァンスのピアノ・トリオでの演奏が大好きな「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」である。しかも、この時期のマイルス・グループのピアニストは、当のビル・エヴァンスご本人。この曲に関しては、ピアノ・トリオのテイクに軍配を上げてしまう自分ではあるが、マイルスのトランペットであの静謐なフレーズを吹かれて悪かろうはずがない。もうこの1曲だけで、参りました状態なのである。ついでに言えば、「ステラ・バイ・スターライト」も、ここでのテイクは大好きだ。ビル・エヴァンスのピアノに導かれてマイルスのミュート・トランペットが出てくるあたりは、ゾクゾクするほどにいい雰囲気なのだ。
しかし、さらに考えてみると、今回の50周年記念のボックス・セットは面白い構成である。3種のメディアで構成するというのもあまり例がないし、「いまさらアナログを付けられてもなあ」と困惑したファンも多かったのではなかろうか。カラー・ヴィニールのブルーが少々鮮やかすぎる気もするが、お飾りにしては重量盤だし、いかがなものか、という気もしないではない。よほどコアなコレクターを対象にしているのかという気もしないではないが、そういう意味ではCDの内容が陳腐すぎる。結局のところ、ターゲットが絞りきれていないのかもしれない。自分のようにアナログもデジタルもTPOで使い分けているような人間にとっては、「いいねえ、これ」で済むものではあるが、案外手を出し難いものを作ってしまったかもしれない。
50年を超えてもなお、多くの人々に愛され続けるようなものは、やはりそれなりにリスペクトを表したかたちで発売してもらいたいものだ。廉価盤として発売されているものでも、CDの音質は、おそらくまったく問題ないレベルだろう。デジタル時代だからこその有り難い商品かもしれないが、それでも愛情のカケラも感じられないスリーヴなどを観ると悲しい気分になるのは自分だけではあるまい。あくまで商品ではなく、つまり単なる音源としてではなく、一つの芸術作品として尊重すべきであろう。その辺の配慮が欠けているものは、いくら廉価でも大きな経済の動きを起こすどころか、大して売れることもないのではなかろうか。・・・いや、そうあって欲しいものだ。