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下町音楽夜話

◆第333曲◆ シンガー・ソングライターとは?


2008.11.8

今年は一体何年だったか、と思いたくなる昨今だ。先月はデフ・レパードとホワイトスネイクのダブル・ヘッドライナー公演があり、1980年代後半の、つまりおよそ20年前の感覚に引きずり戻されたばかりだったのだ。そして今月は、もっと懐かしい連中のコンサートが目白押しだ。キャロル・キングにジャクソン・ブラウン、そしてついにザ・フーの単独公演までもが実現する。フトコロと相談するまでもなく、無理を承知で全てのチケットを入手した。こんな機会は逃したら絶対に後悔するぞと思い、猛烈に忙しくなることを覚悟の上で、やはりライヴはいいものだなどと思っている。

キャロル・キングは昨年のイヴェントに続けての来日だが、この人はあまりライヴが好きではなかったので、ひょっとしたら後悔することになるのでは、と不安に思いつつも、おそらくこれまでに一番多く聴いたであろうアルバム「つづれおり」のジャケットがちらつき、買わないではいられなかった。昨年のイヴェントは、3人一緒での公演だったのだが、残る2人が全然興味のない人たちだったので、まったくそそられなかったのだ。それが今回は、どうしても行きたいと思ってしまった。やはり春先に発売された「つづれおり」のレガシー・エディションの2枚目、ライヴ音源集を何度も聴いて感動に浸ってしまったから、少々状況が違うということもあるのだ。

ジャクソン・ブラウンは今回もマーク・ゴールデンバーグと一緒に来日する。そのことを知った時点でもう絶対に買いである。マーク・ゴールデンバーグの名前を目にすると、行かないわけにはいかないのだ。ジャクソン・ブラウンには申し訳ないが、自分の場合、彼の音楽を聴くのは彼の歌詞でもなければ彼の声でもない。バックについているマーク・ゴールデンバーグやデヴィッド・リンドレーのギターがお目当てなのである。目立ち過ぎず裏方に徹しているようで、やはりその個性を隠しようもない名手たちのギターは、レコードでも、ライヴでも、自分にとっては、こういうのが好きだったんだということの確認作業、自分がやりたかったことの代弁者として、大スターの連中よりも憧れる部分がある人たちなのだ。

先般発売された、ジャクソン・ブラウンの新盤「時の征者(タイム・ザ・コンカラー)」は、嬉しいアルバムだった。すっかり昔の彼に戻ったようなテイストの曲調と歌詞で、久々に楽しめた。彼の1970年代のヒット・アルバムはどれも内省的な歌詞が日本人には受けたようだが、その後、政治的メッセージ色を強めてからは、あまりヒットしたとはいい難い状態が続いていた。それがここにきて、ソロ・アコースティックのライヴ盤を2枚続けてリリースし、これが結構期待に沿う内容だったので、今回のアルバムが完全復活といった印象を持ってしまうのだろうか。いずれにせよ、ここでもマーク・ゴールデンバーグはいいギターを弾いている。アルバムのカラーを決定づける一音が、随所で聴かれるのだ。

さて、キャロル・キングとジャクソン・ブラウンは、誰もが認める代表的なシンガー・ソングライターであるが、彼らと同時代に活躍したシンガー・ソングライターが呼応するかのように、活動を再開している。J.D.サウザーも25年ぶりの新盤がリリースされた。彼は第6のイーグルスといわれたように、ソングライターとしての活動が高く評価されているが、歌も悪くない。1970年代の西海岸を代表するシンガー・ソングライターではある。しかし、先般発売された「イフ・ザ・ワールド・ウォズ・ユー」は、昔彼がやっていた音楽とは似ても似つかない音楽だ。ジャジーな落ち着いたサウンドで、ジャケット写真のように、すっかり年齢を重ねてしまった現在の自分というものを見つめて、ありのままをさらけ出し、現在形の彼の音を提示している。これぞ、最も望ましいその後のシンガー・ソングライターのあるべき姿という気がしなくもない、大満足の一枚だった。

そして、ジェイムス・テイラーの新盤も先月リリースされた。彼はコンスタンスに活動を続けてきたので、復活などといった印象はないが、ここにきて何とカヴァー集である。そのタイトルもずばり「カヴァーズ」。1970年代を代表するシンガー・ソングライターの彼が何故今ここでカヴァー集なのか、理由なんてあっても無くてもいいのだが、作曲能力が枯渇したかというほど、彼は名曲を書いているわけでもない。彼のヒット曲はみんな他人が書いた曲ばかりだ。自作曲も少ないわけではないが、ヒット曲はほとんどない。ただし、一時代を代表するシンガー・ソングライターといわれた人間が、カヴァー集をリリースすることの意味は、やはりあれこれ考えてしまう。しかもだ。選曲が意外などというレベルではないのだ。エアロスミスもカヴァーした「ロードランナー」やザ・フーで有名な「サマータイム・ブルース」、プレスリーで有名な「ハウンド・ドッグ」、ストーンズで有名な「ノット・フェイド・アウェイ」などという選曲なのだ。ジョージ・ベンソンで有名な「オン・ブロードウェイ」をはじめ、文句なしのグッドカヴァーもあり、凄く楽しめることは間違いないのだが、意外にもほどがある。そもそも、この人の場合、声が好きなので、オリジナル曲がなくても、個人的には全く問題ないのだが、しかし他人のカヴァーが有名な曲ばかりのこの選曲が意味するところは全く理解できない。

そこで、ふと気になった。シンガー・ソングライターとはいったい何なのか?ということだ。文字通り解釈すれば自作自演ということだが、それなら多くのロックバンドなどはみな自作自演であるから、それだけではないらしい。ピアノやアコースティック・ギターで自作の曲を弾き語りスタイルでやるというイメージはあるが、それだけなのだろうか。1970年代という時代が持っていた空気を感じさせ、内省的な歌詞とともに、心の深いところまで入りこんでくる音楽といった、暗黙裡の共通認識があるのではなかろうか?では、カヴァー集を発売したり、ジャズっぽい音楽をやる人間は、それでもシンガー・ソングライターなのだろうか?しかし、ジェイムス・テイラーやJ.D.サウザーをシンガー・ソングライターではなくなったという人間はいないだろう。時代が変わってしまったために、言葉の定義が変わってしまったと解釈するべきか。

21世紀になって8年も経ってしまった今年、時期をあわせるようにして、シンガー・ソングライターの代表的な2人、キャロル・キングとジャクソン・ブラウンが来日する。そのことが嬉しくて仕方がない一方で、ただの同窓会的なライヴでは満足できないぞと身構えている自分がいる。今の時代の空気感を反映なんてしなくてもいいけれど、納得がいくかたちで、シンガー・ソングライターの現在形を確認してみたいという欲求を適えて欲しいだけなのだ。


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