毎年、必ず春が来たということを実感する日がある。3月初旬のまだ寒い朝が続いている頃に、妙に暖かい日差しにそう感ずることもあれば、4月に入ってから少し体を動かすと汗ばむようになり、薄着の身軽さにそう感ずることもある。年によっては、満開の桜を目にして感ずることもあるのだが、むしろ例外だ。おそらく温度や湿度などといった、空気の変化を体の中のどこかしらで感ずることによって意識するのだろう。子どもの頃はあまり強く感じなかったが、年齢を重ねるにつれ、また来たなという感覚が強くなってきた。この季節は、花粉症や年度当初の忙しさなど、嬉しくない要因もあるのだが、寒さに身をすくめていたのが、春風に向かって羽を広げるかのごとく、何かがある瞬間から変わるのだ。気分がグイッと上向く瞬間でもあり、同様に感ずる人は案外多いのではなかろうか。
しかし、自分は春が大嫌いだった。ひどく体を壊していたこともあるが、大学受験にことごとく失敗したために、春先の憂鬱が体に染み付いているのだ。三年ダブッて三流私大に入り、漠然とした不安の中でスタートした年の春は、輪をかけて最悪だった。ホテル・カリフォルニア以前のカリフォルニア幻想は既に霧消しており、何も考えていないようなヴァン・ヘイレンのノーテンキなサウンドのほうが正しいウェストコースト・サウンドだと思えていた。鬱陶しいパンクは足早に消え、実力のある連中はニューウェイヴなどといって、パンクをテイストとして取り入れたポップを展開していた頃だ。フュージョン・ブームは、ジャズの現在形というよりロックの可能性を広げていた。そして、そこにブルースがやってきた。
その頃、一枚のレコードを繰り返し聴いていた。ミック・テイラーが自身の名前をタイトルにした、ファースト・ソロである。好きという感覚はなかったが、何度も何度も聴いた。聴かずにはいられないような感覚があり、実際のところは救いを求めていたのかもしれない。これ以上はないというほど陰鬱なジャケット写真は、薄暗い部屋の片隅に立っている本人を写しただけの、どん底の寂寥感が漂っているものだった。写真のテイストも、魅力的というものとは程遠い。それでも、自分はジャケ買いしてしまった。何かがそこにあるということは、はっきりと伝わってきた。確かに、彼はローリング・ストーンズの黄金期を支えてきたギタリストである。しかし、その後の扱いはずいぶんなものだった。
明らかに不遇をかこっていると思われたときにリリースされたこの盤は、実に内省的な内容で、ブルースを基調とした音楽は目新しさなど微塵もなかったが、妙に惹かれるものがあった。とりわけ、アルバムの終盤に据えられた大作「スパニッシュ〜Aマイナー」という曲は、途中転調するあたりから気分が上向くようなところがあり、繰り返し、繰り返し聴いたものだ。一向に飽きることもなく、日課のように毎朝毎晩聴き続けた。残念なことに、この盤は直ぐに廃盤となり、全くと言っていいほどヒットしなかったが、自分にとってはとても大事な一枚となったのだ。
その後、本人の意向には沿わないかたちでリリースされたライヴ盤が数枚と、他人のレコードへの参加はあるにはあった。カーラ・オルソンのものやボブ・ディランのアルバムでの演奏は、いずれも素晴らしいものだ。しかし、ミック・テイラーである必然性は感じられなかった。結局20年待たされて1999年にリリースされた意味深なタイトルのセカンド「ア・ストーンズ・スロウ」が、これまた素晴らしい内容であるだけに、寡作が恨めしい。なぜもっとコンスタンスにレコードをリリースしてくれないのだろうか。寡作ゆえの魅力と言っておくしかない状況である。
今世紀になってからも、怪しいライヴ盤がリリースされたり、ローリング・ストーンズ脱退直後の、ジャック・ブルースやカーラ・ブレイと立ち上げたジャズ・ロック・バンド(古い言葉だ)の幻のライヴ音源が突然リリースされたりといったところで、現在の彼の姿を伝える話はとんと聞こえてこなかった。その彼が久々に来日するという。しかも春4月に、ビルボードライブ東京でということだ。これは絶対見逃してはならないと直感した。メンバーは、長年活動をともにしている連中だ。ベースのクマ原田とキーボードのマックス・ミドルトンは、いずれも大好きなミュージシャンだけに、嬉しいことこの上ない。はてさて、21世紀になっていったいどんなセットリストで聴かせるやら、想像もつかないが、相変わらずブルースまみれであることに変わりはないようだから、まずハズレの心配もない。しかし、なぜこれほどの人間が、こんなに小さなハコでやるのだろう。人気がないわけではなかろうに、まったく理解に苦しむ状況だ。といっても、本国でもブルース・フェスティバル以外はクラブにしか出演していないようだし、どうなっているのやら・・・。
日本での彼の人気は、当然ながらローリング・ストーンズの黄金期のアルバム、「スティッキー・フィンガーズ」「メイン・ストリートのならず者」「山羊の頭のスープ」「イッツ・オンリー・ロックンロール」、そしてライヴ盤「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト」の人気によるところが大きいのだろう。また名曲「ホンキー・トンク・ウィメン」も彼のギターなくしては生まれ得なかった。日本人は、ノリは悪いが、律儀にデータを調べてライヴでもしっかり反応できる人間が多い。海外のミュージシャンはそのことに驚きを隠さないが、当時一生懸命音楽を聴いてきた我々にとっては当然のことなのだ。ともあれレコードのクレジットこそが最大の情報源だった。誰が作曲したのか、誰が演奏しているのか、どのエンジニアの手にかかるとこういう音質になるのか、そういった情報こそが多くのことを教えてくれ、そこからいろいろと学んだのだ。そういった世界では、希少価値も手伝って、ミック・テイラーは最大級の評価が与えられるギタリストなのである。
大学受験に失敗してニート同然だった自分に、「長い人生において、そんなことは大したことじゃないさ」ということを気づかせてくれたのは、確かにミック・テイラーのアルバムだった。毎年、再び春がくるかの如く、気分が上向くときが必ずやってくる。そのときどう対処するかは人それぞれ、やはり自分で決めるしかないのだろう。たかが音楽、されど音楽。イッツ・オンリー・ロックンロール、・・・バット・アイ・ライク・イット。音楽は棄てたものじゃない。今年はミック・テイラーのライヴで、遅い春の実感が得られるのだろうか。既にかなり暖かい日が続いているから、ひょっとしたらいきなり夏がやってくるような年になるのかもしれない。せっかくなら不景気を吹き飛ばしてくれるような猛烈に暑い夏もまた悪くはない。