下町探偵団ロゴ万談ロゴ下町探偵団ハンコ
東京下町Sエリアに関連のある掲示板、コラム・エッセイなどのページ
 トップぶらりグルメくらしイベント交通万談 リンク 

下町音楽夜話

◆第373曲◆ エルヴィス・イン・メンフィス


2009.8.15

今年の夏はブラジルへは行かず、相変わらず南部音楽遍歴を続けている。例年ならサンバやボサ・ノヴァのコンピなどを引っ張り出してきて聴いたり、そこから気になるミュージシャンのアルバムを購入してハマッてみたりという楽しみがあるのだが、今年はどうも勝手が違うのだ。例年通り7月にはそういうこともしてみたが、そしてジョイスのアルバムなども買って聴きこんだりしたのだが、どうも気分的にハマれるところまで行かなかった。ジョイスの才能は十分に理解しているし、やたらと来日もするので、そのうち生で観てみたいなとも思ってはいるが、今年の夏はどうにも気分ではなかった。もう少しゆったり気分になれる、緩い音楽が聴きたかったのだ。どうもこの天才女性シンガーの音楽は緩くないのだ。むしろ夏以外の季節のほうが向いているように思えてならない。

結果的に、スワンプ系の緩いリズムのものが心地よく、泥臭さを楽しむかのようにドニー・フリッツやトニー・ジョー・ホワイトなどを聴いていた。相変わらずマッスル・ショールズあたりの音源で何やら面白いものはないかと漁っているような日々となり、タイミングよく発売されたエルヴィス・プレスリーの「フロム・エルヴィス・イン・メンフィス」の40周年記念のレガシー・エディッションなども購入してみたりしたものだ。この盤、アメリカン・ルーツ・ロックに関するものの本では超名盤といった扱いで、しかも同時期に録音されたもう一枚「バック・イン・メンフィス」の音源も、そしてさらにはシングルのみのリリースだった曲も含めて、メンフィス・セッションのコンプリートとなっているという。これは買わない手はないかと意気込んだものである。

そもそもエルヴィス・プレスリーに縁がある年齢ではない。自分が生まれる前の1950年代に一世を風靡したロックンロールのキングの名前は、勿論知らないわけではないし、1970年代になって洋楽を聴き始めてからも「バーニング・ラヴ」という大ヒット曲があったし、世界初の衛星中継騒ぎは一応記憶にあることはある。それでも、自分はエルヴィスに憧れた世代ではない。ビートルズですら現役時代を知らないわけだから、明らかに同時代感覚が持てる相手ではない。また、いくら古い音楽が好きでも、時代背景に適合していれば、近現代史の勉強といった感覚で聴くことはできるが、どうしても時代遅れのように響いてしまうことは避けられない。

エルヴィス・プレスリーは、1960年代は映画製作のほうに軸足が移っていたが、この録音で、劇的に音楽の場に復活したとされる。その後、1977年に死ぬ直前までワーカホリックのようにコンサート活動を行っているので、復活したということに異論もない。しかし、それとて、やはり昔の栄華があってこその活動だったのではなかろうか。あまりに偉大なロックンロールのアイコニックなヒーローを汚すような発言は慎まれるべきなのだろうが、やはり古臭く感じてしまうことは否めない。1968年に行われたメンフィス・セッションも、今の耳で振り返って聴く限り、完全に時代遅れの音質であろう。ジミ・ヘンドリックスが活動していた時代に、1950年代の音を持ってきて新しく感じるわけはないが、やたらと深いエコーやヴォーカルの処理など、明らかに古い。結構曲がいいのに、そしてバックアップの連中はそれなりにいい演奏をしているのに、プロデューサーの感覚がまるで時代遅れも甚だしいということなのだろう。いくらリマスターされたところで、これは無理があったとしか言いようがない。

とにかくルーツ・ロックやらスワンプ・ロックの名盤という評価を下した人間が信じられない。どう聴いても、ストリングスが中心のドリーミーなアメリカン・ポップスをベースにしたヴォーカル・アルバムである。おそらくこれはロックという範疇に含まれるものではない。自分はポップスの世界を否定するつもりはないし、むしろポップス好きだが、もしこの盤をポップスの名盤として紹介されていたならば、佳曲揃いのよくできたセッションだという印象を持ったであろう。「ヘイ・ジュード」のカヴァーはそれほど好きなテイクではないが、もろブルースの「パワー・オブ・マイ・ラヴ」は最高に格好良いナンバーだ。ディープ・サウスに赴いてこそ得られる感覚がそこにはある。よくよく聴けば、バラエティに富んだ構成で、面白い内容なのである。

何せバックアップは素晴らしいメンツを揃えてキングをお迎えしているのだ。ギターは当時のマッスル・ショールズ・サウンドを代表するレジー・ヤングである。つい先日も、マギー・ベルの回(下町音楽夜話第363曲)で触れたが、この男、正真正銘のスワンパーである。どこまでも泥臭いフレーズを繰り出してくる。他には、ベースのトミー・コグビル、ドラムスのジーン・クリスマンといった代表選手たちである。一方スリーヴの写真には、ダン・ペンもしっかり写っている。既にアレサ・フランクリンのレコーディングで才能を開花させ、周囲の評価も固まっていたであろう。

またこのセッションが実現する原因となったものとして、ジェリー・リードが参加した1966年のセッションがある。ここで大いに刺激を受けて、故郷に戻りレコーディングに臨むことになったという逸話があることから、自分はジェリー・リードのアルバムも入手して聴いてみた。この男、俳優業もこなすものだから返って色物的に扱われ、ミュージシャンとして過小評価されてしまうようだが、なかなかの名手である。1971年に「ホエン・ユー・アー・ホット、ユー・アー・ホット」と「エイモス・モーゼス」という2曲の全米ナンバー・ワン・ヒットを持っているが、この2曲のギターのフレーズはさすがに素晴らしい。どういう形でエルヴィス・プレスリーが刺激されたのかは知りようもないが、こういったカントリー周辺のルーツ系の世界は恐ろしく奥が深く、全貌など知り得るはずがない。まだまだ未聴の素晴らしい音源がありそうで、探究心をそそられていけないのだ。

1977年8月16日、キング・エルヴィスが心臓発作で亡くなったとき、世の中の騒ぎがあまりに大きいので驚いた。そのときは、そんなに偉大な人だったのかと認識をあらたにしたものだった。18曲のナンバー・ワン・ヒットを持つというのも凄いし、公式にリリースされた楽曲が800曲を超えるというのも凄い。また、主演として32本もの映画をヒットさせていることも素晴らしい業績である。あまりに凄すぎて人間離れしているがために、親近感を覚えることがなかったといったほうが正しいか。シンガー・ソングライターが売れていた1970年代に、キングは遠い存在だった。結局時代遅れの音になっていたのに、誰もそのことを進言しなかったとしたら、正真正銘の裸の王様ではないか。でも、時代に擦り寄ったキング・エルヴィスなんて、誰も聴きたがらなかったかもしれないし、これでいいのかな。


江東区、墨田区、中央区、台東区のネットワークサイト