今年の夏も、いよいよ残暑というべきところまできた。例年になく雨の日が多く、若干気温も低めだったからか夏バテはしていない。日本の夏というのは、終戦記念日やお盆といったものがあるせいか、8月の後半になると気温はあまり変わらずとも、夏の終わりが近づいてきたという気分になる。今年は、普段の年以上に少し意識して、夏の楽しみというものを実践してみた。本来なら野外ライヴだのという話に行きたいところだが、自分は野外のライヴやフェスティヴァル的なコンサートが嫌いなので全く縁がない。もっと身近なところで、枝豆にビールや、丸のまま買ってきたスイカを心置きなく食したという程度の話である。かき氷は冷た過ぎて苦手だし、アイスクリームは一年中あるので、この際置いておく。枝豆も冷凍食品で一年中手に入るかもしれないが、やはり枝から切り取りながら塩もみをして、大汗をかいて茹で上げた後にさらに塩をふり、まだ熱い豆をビールで流しこむことの何と幸せなことか。
こういった日本の夏の風情を積極的に楽しんでいるのには、いくつか理由がある。一つには、毎日コンピュータ相手にあまり季節感のない日々を送っているだけに、少し意識して季節感を持ちたいと思ったということがある。また、年をとってきて、時が過ぎるのが早く感じられるようになってしまい、あと何回こういった夏が楽しめるのかという不安にも近い感覚を持ったというのも一つの理由である。とにかくあっという間に1日が終わり、1週間も直ぐに過ぎるように感じ始めて久しい。以前より長くなった夏も、惜しんで楽しもうと思うほど短く感じられてしまうのだ。
そしてもう一つ、最大の理由がある。最近英会話の勉強会を若手職員と一緒に始めて、週に1回、英語で考え、英語で話し合う時間を持っているのだ。余裕があればすかさずその準備をしている状況で、もう数ヶ月が過ぎた。そのため、会話の基本、自己紹介をする機会が増えたために、自分を見つめ直すことになってしまったのだ。自分自身というものを説明しようとすると、人間は不思議なほど正直になる。個人情報をそこまで明かさなくてもいいと言っても、みな正直に自分自身のことを話す。無理に飾り立てても、すぐにボロが出る。必然的に自分自身を見つめ、理解してもらおうと努力する。また普段以上に、自分の考えを述べたり、誰かの意見に共感を述べたりするため、自分自身のアンデンティティが明確になってしまうのだ。そうしたとき、やはり自分自身が日本人であるということを強く意識することになる。また、日本の夏を説明するためにも、夏の楽しみを実践したうえで、考え、感じ取っているのである。
閑話休題、アン・サリーという名古屋在住の在日韓国人3世というシンガーが以前から気になっていたのだが、その彼女のヒット・アルバム二枚が各千円という廉価盤で再発されたので、とりあえず買ってみた。気になっていたのは、「星影の小径」という大昔の歌謡曲のカヴァーである。この曲、小畑実という人物が歌って、昭和25年、1950年に大ヒットしている。戦後日本を代表するナツメロの一つと言ってもよいだろう。1982年頃にちあきなおみがカヴァーしてテレビ・コマーシャルに使われ、一部では大いに話題になった。このちあきなおみのカヴァーもよかったのだが、あの曲のサビの部分「アーイ・ラービュー・アイ・ラビュー」の箇所を、アン・サリーが歌っていると思っただけで、頬の筋肉が緩む。実はさっさと買っておくべきだったと半分後悔している。猛烈によくできたカヴァーである。
そもそもこの人、心臓外科医という肩書きを持つ兼業シンガーである。小さなハコでたまにライヴもやっているので、一度は観ておきたいなとも思っていたが、如何せん、CDになかなか手が出なかった。普段輸入盤ばかり買い慣れていると、国内盤は高いし、収録曲も少なく感じてしまう。特に今回購入した二枚のCDに関しては、大半が知っている曲のカヴァーだけに、失敗したら余計に悲しいと思って躊躇していたのだ。しかし、それもどうやら杞憂だったようだ。遅ればせながらに、素晴らしいシンガーに巡り会えたという実感である。
分類的にはジャズ・シンガーとなっているが、アルバム全体の雰囲気はカフェ・ボッサといったところで、もう少しポップな演奏内容だし、歌い方も自然でジャズ・シンガーといった風情はあまり感じられない。とにかく曲がバラエティ豊かなので、なおさらその感が強い。ブラジルものが中心というべきなのだろうが、ジョニ・ミッチェルも相当に歌いこんでいるようだし、「星影の小径」のほかに李香蘭の「蘇州夜曲」も歌っている。こちらもなかなかどうして、みごとな歌いっぷりである。日本語で歌っていることもあるかもしれないが、第一印象ではこの2曲が際立ってよくできているように思えた。どちらも古い曲なので当然ではあるが、妙に懐かしくてほのぼのしてしまうようなところがある。ヒットした時代はどちらも自分が生まれるずっと前だけに、懐かしいといっても、ヴァーチャルなものだ。やはり曲そのものに加えて、歌声にそういった要素が含まれているように思えてならない。
その一方で、これはちょっと、という曲もないわけではない。よくできたオリジナル曲に挑戦するのは当然のことなのだが、オリジナルが手強すぎるという場合もある。とにかく、マリア・マルダーの「真夜中のオアシス」はオリジナル完勝である。アン・サリーの歌はあまりにキレイ過ぎて、色気を感じない。そもそものキャラクターが清楚なイメージの人なので、マリア・マルダー相手では分が悪過ぎる。この曲は自分にとってのオールタイム・ベストで必ずトップ10には入る大好きな曲なのだ。ブラン・ニュー・ヘヴィーズのファンキーなヴァージョンもよかったなと思いつつも、やはりオリジナル完勝なのである。
以前は自分自身に体力があったからなのか、夏といえばサンバ、もしくは松岡直也あたりのラテン・フュージョンといった、元気いっぱいノリノリの音楽ばかり聴いていたのだが、ここ数年はボザ・ノヴァがよくなってしまった。ものによっては心の中まで涼風が吹いてくる心地よいものもある。アストラッド・ジルベルトあたりのヴォーカルを聴いて心地よいと思わない人間はいないだろう。一方で小野リサのほのぼのとした声も魅力的だ。ラウンジ系が起源かと思われるが、最近はカフェ・ボッサなるジャンルもしっかりと確立しているようだ。ミズノマリという、これまた名古屋でパーソナリティをしていたという女性ヴォーカルをフィーチャーした、パリス・マッチという日本のユニットなど、非常に良質なカフェ・ボッサを聴かせたりもする。最近の自分は、洋楽ばかり聴いていて日本の音楽事情には疎いので、かなりいいものも聴き逃しているのかもしれない。急に勿体ないような気がしてきた。ああ、日本の夏、もっと日本を知りたい。