最近、かなり遠ざかってしまっていたモダン・ジャズをまた聴いている。これにはいくつか理由があって、何枚かの面白いアルバムが手に入ったことがやはり最大の理由だが、他にも理由はある。菊地成孔と大谷能生の共著になる「東京大学のアルバート・アイラー」が文庫本化され、かなり評判の良い書評を真に受けて、半信半疑買ってみたところ、それなりに楽しめたのだ。2004年に実際に東京大学で行われた講義録のため、しゃべり言葉で面白おかしく書かれている。「本当かよ?」と疑問に思う箇所もなくはないし、「被分析誘発性」などといった言葉使いはお笑いだが、内容は非常に濃い。一冊の本としての出来が頗るよいというべきか。もぐりの聴講生も多くいたという現場の空気を見事に伝えており、実際はこの通りにしゃべったわけではないと本人達が書いているものの、よくできたライヴ盤のような臨場感があって、あっという間に読み終えてしまう。おかげで、いろいろ聴きたくなってしまったというわけだ。
また、最近入手したアルバムというのは、新旧まちまちである。まず、ダウンタウン・レコードで大好きなソニー・ロリンズの大好きな「サキソフォン・コロッサス」の国内盤のデラックス版として再発されたというものをかなり安く手に入れたのである。店主はこの盤の価値が判らない人間は絶対にないので、何か欠陥でもあるのかと思いたくなるのだが、非常にきれいな盤である。プレスティッジのマークとロゴが右上の隅に大きく描かれており、明らかにそれと分かるし、第一見開きジャケットで、中には大阪でのスナップ写真などが掲載されている。ホテルのロビーでジョージ・ルイスと偶然顔を合わせたときの写真など、なかなか間抜けな雰囲気で面白い。
この見開きジャケットの内側には、かの岩浪洋三氏に「よるライナーが掲載されている。そこでは、ロリンズとクリフォード・ブラウンの関係に触れられている記述もあり、「そうだよなあ」と思わずうなずいてしまったが、その一方で名曲「セント・トーマス」の解説では、「ロリンズのヴィヴィッドなドラム」などといった誤記も見られ、なかなか微笑ましい。しかもこの盤、A面とB面がそっくり入れ替わっているのである。世の中には裏焼きしてしまったジャケットのアルバムも結構存在する(ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」やヴァン・ダイク・パークスの「ジャンプ!」など)が、ものの本で時々触れられていることもあり、何となく興味をそそられてしまうのである。この盤を入手したことを契機に、当の「サキ・コロ」をはじめとしたソニー・ロリンズの好きな盤をいくつか聴いてみて、やはりいいなあということになったというわけだ。
また、新しいものでは、クリスチャン・マクブライドの最新盤「カインド・オブ・ブラウン」が予想外に好みの音を響かせてくれ、非常に気に入ったのである。この現代ジャズ界を代表するファースト・コールのベーシスト、なかなかやんちゃな人間で、3年前にリリースした「ライヴ・アット・トニック」など、モダン・ジャズしか聴かないようなコアなジャズ・ファンが間違って聴いてしまうと怒り出しそうな内容である。かなり先鋭的なジャムバンド風な3枚組のこのライヴによって、自分はジャムバンドも面白そうだなと思い、遅ればせながらメデスキー・マーチン・アンド・ウッドやチャーリー・ハンター、ソウライヴといった面白い連中と知り合うきっかけを作ってくれたので感謝しているアルバムなのである。ソロではここ数年エレクトリック・ベース中心だったので、この内容は十分に想定内だったのだが、やはりモダン・ジャズをやらせればナンバー・ワンの人気ベーシストがやることだけに、周囲の反応は面白いことになる。評価する側、批判する側、黙殺する者もいれば激怒する者もいる。
しかし、今回は、いきなりまたモダンな内容に戻ってしまったのだ。セルフ・プロデュースによる本盤、クリスチャン・マクブライド&インサイド・ストレートなる自己のバンド名義になっている。内角直球ときたものだが、そのメンバーはドラムスがカール・アレン、ピアノがエリック・スコット・リード、サックスがスティーヴ・ウィルソン、ヴァイブがウォーレン・ウルフ・ジュニアとなっている。まさに内角をズバッと突いてきた感じのモダンな内容である。タイトルからもうかがえるように、レイ・ブラウンが彼のメンターだということだが、その割りには2面性がありハードコア・ファンクのようなことまでやることの説明は全くつかない。
自作曲は7曲、現在のクリスチャン・マクブライドを表している盤であることに間違いはないのだろうが、ここまでストレートにモダンに戻るとは。それ以外の部分も楽しそうにやる人間であることが彼の魅力でもあると思っている身としては、少々将来の動向に不安を持たせる内容となる。それにしても、魅力的な演奏を展開する連中である。ビ・バップだ、ハード・バップだ、モードだ、フリーだ、と歴史的に追っていく作業を片目に見ながら、21世紀になってこれだけモダンな内容のアルバムを作ることに関して、後ろ向きだと思うのは勝手だろうが、どのみちこの連中のやっていることは、過去の巨大な遺産を受け継ぎ、咀嚼し、破壊し、再構築してなおやるべきこととして捉えられたハード・バップであったりするわけだから、十分に現代の感覚が織り込まれているように思っている。
このほかにも、最近はジプシーの求道者にして、ジャンゴの呪縛から解放され実に楽しい「エレクトリック・サイド」というアルバムを昨年リリースしたフランス人ギタリスト、ビレリ・ラグレーンや、現代テナーの巨人、ジョシュア・レッドマンなどもあれこれ聴いているのだ。レッドマンとパット・メセニーはCDつきのアナログ盤をリリースしてくれたので、オーディオ方面でも注目を集めている。相変わらずこの連中の活動からは目が離せない。そういえば、文庫本にちなんでアルバート・アイラーの代表作「スピリチュアル・ユニティ」も、真っ赤なヴィニールのアナログ盤で入手したのだ。
自分の場合、下町音楽夜話の第1曲でも触れているとおり、大きな転換期にくるとどうもフリー・ジャズに戻る癖があるようだ。確かにいろいろ考えながら聴くのに向いているのだ。アート・アンサンブル・オブ・シカゴやオーネット・コールマンには随分お世話になったものだが、今回はアイラーというわけだ。「スピリチュアル・ユニティ」については、また別の機会に詳しく書くとして、やはりジャズはいいなあという気分になってきた。瞬間芸的な即興演奏主体のモダン・ジャズは、時間をかけて多重録音を繰り返す現在のレコーディング・スタイルには合わなくなってしまったということもあろうが、その音楽自体が持つ魅力はあまりにディープであり、まだまだ興味は尽きそうにない。