先日、ダウンタウン・レコードで、状態のいい荒井由実のアルバムを見つけ、思わず購入してしまった。いずれも既に所有している盤である。それでもアルファ盤だし、とにかく状態がよい。リーズナブルなお値段ということもあって、「これは救出しておくべき盤だな」などと勝手なことを考えていたのだが、いよいよ荒井由実も状態のいいものは見かけなくなってきた。時代が猛烈なスピードで変化している時期に、過去を振り返っている余裕などないというのが通常だろうし、正常でもあろう。引退して楽隠居といった身分であれば話も別だが、一応還暦まではあと10年ある身で、あまり後ろばかり振り返っているのもいかがなものかと自省しているだけなのだが、案外これが心地よくて、ストレスを感じたらダウンタウン・レコードに足を向けるといった行動パターンが定着しつつある。本来は、純粋にアナログ・サウンドで楽しみたい音楽を探しにいきたいところなのだが、そうとばかりは言っていられるわけでもない。
とにかく、コピーライター的な部分でみた荒井由実の歌詞や曲のタイトル、アルバム・タイトルといったものが、非常に好きだった。どういうわけか、音楽は後からついてきたような印象がある。年齢的には少し上の世代のアイコンなのかもしれない。それでも自分の場合も、大学時代、ドライヴなどのBGMとして、サザン・オールスターズとユーミンというのは別格であった。定番というだけでは済まされない、特別な存在だったのだ。知らないということはありえないほど、誰もが聴いていたのである。洋楽好きの自分のクルマには、ユーミンやサザンのカセットがないときもあったので、驚かれたりもした。当時は、とにかく、いかに新しい音楽だったかということばかりが喧伝されていたが、自分は情景が見えてくるような歌詞の世界が好きだった。
先日入手したのは、いずれも、アルファ盤の1973年のファースト「ひこうき雲」1974年の「ミスリム」1975年の「コバルト・アワー」1976年の「14番目の月」の4枚である。2004年にこの4枚のアルバムにシングル曲+カップリング曲を集めたCDと「紙ヒコーキ」という曲のプロモーション・ヴィデオを収録したDVDを加えた6枚組のボックスセットが発売されたときには、買うべきか否か散々迷った挙句に待つ事にした。如何せん、L.A.の名匠バーニー・グランドマンがマスタリングしているのだ。やはり、ヘタなベスト・セレクションを作るよりも、この4枚をまるごと納めたボックスをリリースすることの意義が、わかる人にはわかるのであろう。松任谷由実になってからのアルバムにもいい曲はあるにはあるが、この時期のこの4枚はやはり特別なのである。
バーニー・グランドマンは、世界一と言っても過言ではない、超多忙なマスタリング・エンジニアである。自分の手元には少なくとも228枚の彼の手によるアルバムがある。ジャクソン・ブラウンやキャロル・キング、そしてカーラ・ボノフといった西海岸のシンガー・ソングライターのアルバムや、ウェザー・リポートやブランフォード・マルサリスといったジャズ寄りのものもある。カーペンターズにジョニ・ミッチェル、最近ではジャック・ジョンソンやマデリン・ペルーなど、ジャンルではまったく括れない多様さと、ある程度成功している有名どころのミュージシャンから指名されているようにも見受けられる。バーニー・グランドマンを指名するのはそれなりに贅沢なことでもあろう。また、アナログでもデジタルでもお構いなしといった印象で、細心の注意を払いながらもメリハリの効いた音溝を刻むスタンスは、確かに音楽のジャンルを選ばない。
それにしても、何ゆえユーミンの初期の音源をバーニー・グランドマンがマスタリングする必要があったのだろうか?L.A.の乾いた空気の中でスカーンと抜けるような明るい音を刻むことは得意だろうが、70年代の日本の湿気をたっぷり含んだような音質の初期のユーミンが、スカーンと鳴るかと思うと、あまりそそられるものでもない。勿論そんなことはないのだろうが、雰囲気がまるで違ったものになっているのではないかと心配にならないわけではない。特に「ひこうき雲」と「ミスリム」の2枚は、微妙な線の上で、奇跡的にピュアな感性を音に結実していた、素晴らしい出来だったので、ヘタな人間がリマスタリングしたら、あの雰囲気はぶち壊しになるだろう。そういった意味では、バーニー・グランドマンに委託する必然性があったのかもしれない。
結局のところ、日本のお宝とでも言わんばかりに資金を投入してボックスセットをリリースするだけの価値はあるのだろう。当時としては、最先端と言っても過言ではないアメリカナイズされた演奏を聴かせているのは、細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫のキャラメル・ママ〜ティン・パン・アレーの面々である。これ以上の贅沢はないという、バンドとしての一体感もある演奏は、独特のグルーヴ感もあり、単にアメリカナイズという言葉で済ませてしまうのが勿体なくなるものだ。リマスターにバーニー・グランドマンを起用したのも、彼らの演奏に敬意を表したものと解するべきか。いずれにせよ、アナログでしっかりと聴きたい数少ない日本の音楽であることは確かなのだ。
キャラメル・ママ〜ティン・パン・アレーというと、雪村いづみやいしだあゆみといった純粋に日本を感じさせる人々のプロデュースやバックアップで知られるが、そこにアメリカナイズされた感性を持ち込むからこそ、外から見てもしっかり日本とわかるような音楽を作ることができたのかもしれない。自分達のアルバムよりも、他人のバックアップをしたものの方が売れてしまうのも、スタジオ・ミュージシャンの集まりとも言えるこの連中の素性を明かしているが、やはり彼らの最高傑作と言えば、ユーミンの初期の2枚となるだろう。彼らの2枚のオリジナル・アルバム「キャラメル・ママ」と「TIN
PAN ALLEY 2」も悪くはないのだが、少々遊びすぎの嫌いもある。当時から評判は良かったのだが、自分は曲に関して圧倒的にユーミンの勝ちだと思っていた。
かなり安定してきたように思われるアナログ盤の市場ではあるが、価格の二極分化は進行しているようだ。趣味性が強まれば強まるほど、価格は上がっても市場は安定する。趣味性が薄いものであれば、価格が安くないと売れなくなる。この期に及んで趣味性を強調する必要もなかろうが、デジタルの安楽さの正反対をあえて求めるからには、それなりに目的意識も欲しいものだ。そういった意味からも、荒井由実のアルバムは、情景が浮かぶほどリリカルな歌詞とともに、やはりアナログで聴きたくなるキャラメル・ママ〜ティン・パン・アレーの演奏も素晴らしいのであった。