7月になって、蒸し暑いのは仕方ないとしても、体調が少し落ち着いたことに加え、仕事がひと段落して人心地ついたところで、やっと音楽のことなどをゆっくり考える余裕が出てきた。あれやこれや、聴きたいもの、観たいものが溜まっているのだが、とりわけ映像モノは「ながら」というわけにもいかず、溜まり易い。時間に余裕が出たら観ようと思って買い集めた古い映画のDVDも結構な枚数が溜まっているし、頑張って観ていかないと勿体ないことになりそうだ。そもそも大型テレビもあるにはあるが、毎朝出かける前にニュースを聞き、天気予報を観る程度なので、もともと勿体ないことをしているのだ。
先日キャロル・キングの「イン・パフォーマンス1971」というDVDが発売になり、思わず手を出してしまった。どうもテレビ番組のようだがオーストラリア盤というだけで、メンバーや収録場所等の情報は一切ない。キャロル・キングはステージ恐怖症で、ライヴは期待しないほうがいいのだが、1971年となるとやはり最も好きな「タペストリー」が発売された頃でもあり、内容も「タペストリー」を再現したようなものである。これが意外にも調子がいいときのテイクを集めてあるようで、それなりに楽しめる。ただしフル画面では観られないほどの粗い画質だし、曲によってはノイズも凄い。ラフな編集のブツ切れ継ぎ足しで、しかも30分強といった短さである。それでも、彼女に関してはこれでも有り難く拝聴しなければいけないほど、タイトル数が少ないのだ。1970年代に活躍したミュージシャンの多くが、発掘音源などと称して、古いライヴ音源や映像で荒稼ぎしている時代だが、この人はあまりそういう気がないらしい。
それにしても、今考えると随分シャウト・スタイルのヴォーカルである。アップテンポの曲は当然として、バラードでもかなりノドを絞ってシャウトしている。そのためレコードとは随分違った印象を与えてくれる。また、このDVDの映像、有り難いことにダニー・コーチマーやチャールズ・ラーキーの運指をしっかり映してくれるのである。さらにジェイムス・テイラーを加えた「ソー・ファー・アウェイ」の素晴らしいテイクも観ることができる。長髪にひげ面のジェイムス・テイラーの格好良いこと。このDVD、千円少々のお値段なら十分に我慢できるメッケモンであった。
この映像を観た後、ふと聴きたくなった盤がある。五輪真弓の「冬ざれた街」である。このアルバム、1973年の12月に行われた渋谷ジァンジァンでのライヴを収めた名盤である。ジァンジァンは山手協会の地下にあった小劇場で、前衛的な文化の発信地として定番のスポットだった。ここでデビューしたての彼女はまだオリジナルばかりでステージを構成することを避け、ジョニ・ミッチェルの「ボース・サイズ・ナウ」やロバータ・フラックの「やさしく歌って」とともに、キャロル・キングの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」や「イッツ・トゥー・レイト」などを歌っているのである。いずれも1970年代前半を代表する名曲群である。そして当然のように彼女はレコードに近い歌い方をしている。後々まで変わらない非常に丁寧な歌唱で、初々しい中に落ち着きのある独特の素晴らしいヴォーカルを聴かせるのである。ちなみに、バックアップに関しては、大村憲司、深町純、村上秀一といった有名どころの若き日の姿が確認できる。
五輪真弓とキャロル・キングは元々関係が深い。五輪真弓の1972年にL.A.で録音したデビュー・アルバム「少女」には、キャロル・キング自身が2曲で参加しているし、チャールズ・ラーキーも数曲でベースを弾いているのだ。また1974年の「時を見つめて」にはジェイムス・テイラーやキャロル・キングとは縁が深いセクションのメンバーが揃って参加し、強烈なバックアップを聴かせている。キーボードのクレイグ・ドージ、ベースはリー・スクラーとチャールズ・ラーキー、ドラムスのラス・カンケルやギターのダニー・コーチマーは本当に素晴らしい演奏を披露している。そしてここには、若き日のラリー・カールトンも名を連ね、やはり素晴らしいギターを聴かせているのである。五輪真弓は、この後、フランスでの活動を経て、1978年に「さよならだけは言わないで」の大ヒットを生み、さらには1980年に「恋人よ」の超特大ヒットですっかり歌謡曲の人となってしまう。そのため、初期の和製キャロル・キングと呼ばれた頃のファンは離れてしまったともいわれる。自分のように何でも聴く人間は、いいものはいいで済まされるが、世の中は難しいものだ。自分にとっては、70年代も80年代も、同じ五輪真弓でしかないのだが。
昨年までのリユニオン・ライヴや発掘音源リリースなど、キャロル・キングやジェイムス・テイラー周辺の騒ぎはひと段落したようだ。素晴らしい来日公演まで観ることができて、ここ数年は1970年代の西海岸が好きだった人間には夢のような日々が続いていた。1970年代に活躍したミュージシャンは、みなそれなりにいい年齢になっているので、音沙汰がないと心配になってしまうが、最近はインターネットのおかげで、好きなミュージシャンの情報はリアルタイムで入手することができ、近況などを見て安心したりもする。月刊誌以外に情報がなかった70年代とは、全くもって別世界になってしまったのだ。ただ単に自分が年をとっただけなのかもしれないが、音楽に対する情熱などといったものも、情報が限られていた分、あの頃の方が強かったような気がしてならない。夏に聴く「冬ざれた街」は、意外な感傷とともに涼しさを運んできてくれた。