下町探偵団ロゴ万談ロゴ下町探偵団ハンコ
東京下町Sエリアに関連のある掲示板、コラム・エッセイなどのページ
 トップぶらりグルメくらしイベント交通万談 リンク 

下町音楽夜話

◆第557曲◆ マリリン


2013.2.23

この下町音楽夜話に欠けているもの、それは艶とか色気と言われるものである。自覚があるというか、そう意識して書いている部分もあるので、当然なのである。それなりの品格を維持しておきたいという思いもあるし、これを連載していただいている下町探偵団も絶対的に色気のないサイトであり、その方向性は共感すべきものであるから、こういう書き方を維持している。女性の読者もいらっしゃるだろうし、色っぽい話など抜きにしても、音楽エッセイは十分に成り立つので構わないのである。しかし、ここでちょっと困ったことが出てきた。昨年の4月に素晴らしいレコードが発売になったのだが、色気を抜きにしては書きようがないアイテムなのである。10か月悩んだ末に書かせてもらうことにした。そのレコードというのは、マリリン・モンロー主演「ダイヤは女の最良の友」のサントラ盤の50周年記念盤なのである。ちなみに、ピクチャー・レコードである。ピクチャー・レコードは、昔は耐久性が劣ると言われていたので積極的には手を出さなかったのだが、実際に何十年も経って、全然問題ないことが分かったので、最近は躊躇なく手を出しているのである。

とにかく、お美しいのである。絶対的な存在感とともに、絶対的な美がそこにはあるのだ。これが50年も前に撮られたものだということが、にわかに信じられないのである。当然髪型やお化粧の仕方は進化しているのであろう。男の私にはそんなことは理解できないが、やはり古さは感じさせる。現代の化粧品のコマーシャルに出ているようなモデルさんや女優さんはそれなりにきれいだし、スタイルも食生活の変化の賜物か、日本人ですら文字通り八頭身美人なんて当たり前にいるわけで、むしろ凄い時代になったんだなと思う。では50年前ではどうだったろうか。つまり私が生まれた頃の美の標準はどうだったかということだ。当時の映像などを観ると、当然ながら一瞬にして時代を感じてしまうわけで、昭和30年代の街並みを撮影した映像など、絶対的にレトロであり、古臭いのである。人の顔も、ヘアスタイルも、そして体型も、すべてが古いのである。

天下のマリリン・モンローと、昭和30年代に通りを歩いていた一般人を比較するのは酷だろうというものだが、やはり絶対的な違いが存在するのである。50年前ということでいけば、オードリー・ヘップバーン主演の映画もこの時期、大変な人気だった。もちろん、彼女も絶対的にお美しい。あまりにも絶対的な存在感や美しさは、やはり人並外れている。だから楚々とした大和撫子が劣るとは決して思わないが、そこには歴然とした落差が存在すると思うのである。そういう意味では、現代の女性陣は頑張っている。同じ土俵で勝負できるレベルまでになったと思えるのだから凄い。誉められるべきである。もちろん、最近はAKB48など、そこらにいそうなタイプが人気なのだろうから、どんどん浮世離れした存在になっているかもしれないが…。

1962年8月5日に36歳の若さで亡くなっているマリリン・モンローの場合、すべての写真や映像に絶対的な美が封じ込められているのである。歌はさほど上手くなかったというが、魅力的な声ではあった。我が家に数多あるレコード・ジャケットには、さほど色っぽいものはないが、2枚あるマリリン・モンローのピクチャー・レコードだけは、異様なまでに色っぽく存在感を示している。正直、我家の中ではとても飾れない。また、まったく別物と解釈するべきなのだが、マレーネ・デートリッヒのピクチャー・レコードもあって、こちらは存在感こそいい勝負だが、色気という点ではまったく比較にならない。時代が違うと言われればそれまでだし、色気で売るタイプではなかったので、比べること自体失礼かもしれない。ただ、誤解を招致で書くが、時代を代表する、いやむしろ時代のサブカルを代弁する存在であったことに関しては、共通点と言ってよかろう。ここ最近では、…マドンナ以外には比肩し得る女性は思いつかない。

映画がサブカルの中心的存在であった時代、女優の存在感は、昨今と比べ、雲泥の差があった。まあ、そういう意味では、女優さんというものは凄いと思う。オードリー・ヘップバーンやら、ジェーン・フォンダやら、ブリジッド・バルドーやら、存在感では負けていない方がいくらでもいた気がする。ただ、レコードが何枚売れたなどということではなしに、ある曲を聴いてその時代をさっと思い浮かべられる存在感は、やはりさすがと言うしかないである。お熱いのがお好きの「アイ・ウォナ・ビー・ラヴド・バイ・ユー」はやはりワン・アンド・オンリーなのである。同様に、デートリッヒの「リリー・マルレーン」もやはり凄いのである。

1954年に新婚旅行で来日した際、体調を崩し、浪越徳治郎に指圧をしてもらって回復した、などのエピソードは微笑ましい。また、記者会見で「夜は何を着て寝ますか」というしょーもない質問に、「シャネルの5番」と返したという有名なエピソードもあるが、これでも分かるが、きっと頭の回転の速い女性だったのだろう。上手くはぐらかした上で、相手を傷つけず、しかも話題を提供するサービスまで含まれている回答を、一言で返したのだから、なかなか大したものである。一方で、死因にまつわる諸説など謎に包まれている部分もあり、永遠の美神は現代でも十分話題にできる存在なのである。


江東区、墨田区、中央区、台東区のネットワークサイト