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下町音楽夜話

◆第559曲◆ 10インチ盤の魅力 2013(2)-ガール・アット・ハー・ヴォルケーノ


2013.3.9

ここ数年、2月になると、4月のレコード・ストア・デイの記念リリースの予約が開始されるので、心待ちにしているのである。アナログ関連、しかもかなりマニアックなものが多く、10インチ盤もいくつか新規にリリースされる。昨年あたりは10インチ盤のリリースが非常に多く、嬉しかったのだが、今年は7インチ盤が多く10インチ盤はほとんどなかったことが少々残念でもある。それでも10インチ盤のリリースが増えていることは間違いない。ローリング・ストーンズですら7年ぶりのシングルを10インチ盤でリリースする時代である。ストーンズの場合、ニュー・アルバムのリリースではなく、活動50周年記念のベスト盤に収録される唯一のシングルだけに、残念ながら、少々趣きが違う。如何せん、収録されているのは1曲のみで、片面はエッチングなのである。アートとしては面白いが、絵柄もさほど凝ったものではなく、何か月も待って入手したわりには、つまらなかったのである。

もちろん、自分の場合、あのちょっとコンパクトで扱いやすいサイズは、妙に魅力的に映るのである。ただ、1940年代から1950年代にかけて、蓄音機時代のSP盤が終末を迎え、ビニール盤のレコードが登場した頃は、容量的な限界というものはミュージシャンにとって深刻な問題だった。いかに曲をコンパクトにまとめるか、どうしても聞かせたい部分はどこなのか、主題からソロを回してまた主題に戻ったときに3分30秒ではもう遅い…といった具合に、ミュージシャンの熱い思いが凝縮されたものだったのである。ロング・プレイの名のとおり、容量に余裕があるLPと比べても、相当に熱いものだったのである。4曲から6曲程度が収録された当時の10インチ盤は、ペラペラのジャケットに入れられて売られた。同じサイズのSP盤はジャケットがなかったので、そこは新世代の魅力をアピールするものでなければいけなかった。当時としては、かなり頑張ったデザインだったのではなかろうか。

ストーンズの新曲の10インチ盤が何故残念なのかと言えば、この凝縮感に欠けているのである。増してや、レトロ感など微塵もない、かなりできのよい現役感バリバリの新曲である。10インチ盤である必然性など皆無なのである。その点、一昨年から昨年にかけて、ザ・フーのピート・タウンゼントがリリースしてくれた2枚の10インチ盤は最高だった。名盤「四重人格」のボックスセット発売に関連したデモ音源集なのだが、ジャケットの雰囲気といい、中身のテイストといい、10インチというフォーマットに妙に馴染んでいたのである。強いていえば、最近の10インチ盤のジャケットは、LPと同じような厚さの紙で、コーティングまでされていたりするのだが、1950年代のものは比べものにならないほどペラペラだった。またそのために、非常に傷みやすかったので、満足な状態のオリジナル盤にお目にかかるのは、それこそ奇跡といったところなのである。1999年にリリースされた非常に価値があると思われるブルーノートの5000番台の再発シリーズも、妙にしっかりしたジャケットで、結局のところ、140g程度の重量盤でそこそこ厚みのあるレコード盤が、収まるには収まるが、かなりキツキツなのである。従って、一見して、オリジナルでないことが知れるのでいいこともあるのだが、きれい過ぎて違和感はある。まあ、贅沢なはなしだ。

ロックなどでは、一曲がどんどん長くなっていった時期があり、片面一曲というものも取り立てて珍しくないのだが、ライヴ盤で長尺曲が収められるということに関しては、容量は大きいほうがいいと思うが、冗長な曲を聴かされることの苦痛はまた格別で、好まないことは多い。ピンク・フロイドの「エコーズ」は例外的に好きだが、レッド・ツェッペリンのライヴ盤で聴ける長尺の「デイズド・アンド・コンフューズド」は勘弁して欲しい。自分はグレイトフル・デッドが昔から嫌いで、ボブ・ディランとの共演盤以外、ろくに聴いたこともないのだが、どうもこの辺に原因があるのかもしれない。

こういったことをしっかり理解していたミュージシャンとして忘れられないのが、リッキー・リー・ジョーンズである。彼女が1983年にリリースした「ガール・アット・ハー・ヴォルケーノ」は、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」などのジャズ・スタンダードを中心とした7曲を収めた10インチ盤であった。1979年にデビュー盤でいきなり大ヒットし、81年の2作目「パイレーツ」も同様の出来で、非常に高く評価されていた彼女は、その後も質の高いアルバムをリリースし続けるが、この3作目のミニ・アルバムだけは、他と趣きを異にする。故意にとしか思えない古臭い音質と、プライヴェートな部分を覗き見たような心に入り込んでくる親密さ、異様なまでに純粋な音楽に対する姿勢といったものを目の当たりにしたとき、彼女のメッセージが聞こえてくるのだ。図らずも売れてしまったアルバムで聴くことができる自分の音楽はレコード会社の意向に沿ったものだけど、本当の自分はこういうものなんだよ、と。1983年当時、あえて時代から忘れ去られていた10インチ盤でリリースしたことも含め、この盤が意味するところは、音楽に対する普遍の情熱以外の何物でもない。21世紀にリリースされる10インチ盤に欠けているものは何か、その答えはこの盤の中にある。


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