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元さんのとっておき
■第42回 『紙芝居屋さん』
02年07月06日
この間、駄菓子屋さんの話をしたので、今回はちょっとそれと関連して、私たちの元へその他のおやつを売りに来た人の話をします。ま、平たく言えば、紙芝居屋さんの話です。
昔話も3回も続くと、読んでる方も飽きが来ると思いますが、もう1回お付き合いください。次回は違う話で行きますんで。
うーん、でも気が向いたらもう1回ぐらいやるかも・・・

私が物心ついた頃、もうすでに紙芝居屋さんは私の近くにいました。親たちに文句を言われることもなく(今だったらPTAが大変だろうなあ)、平然と私達の町へ通ってきていました。
大きな箱を荷台にくくりつけた自転車に乗って、おじさんは横丁の角にやってきます。おじさんが登場の合図の拍子木を打つと、子供たちは十円玉を握りしめておじさんの周りに集まっていきます。ひととおり子供たちが水あめを買うと紙芝居が始まります。
そんな紙芝居を、今ではストーリーなんかもう全然覚えてないけれど、くいいるように毎回真剣に見ていましたね。確か、黄金バットを見たのは紙芝居が始めてでした(テレビで見たのはもっと後でしたから)。
紙芝居の途中でクイズがあるんですが(絵解きみたいなのが多かったですね)、当てるとその子だけ水あめがもう一つもらえるんです。当時、私は幼かったせいか、全然当てることができず、初めて当てたときはうれしかったですねえ。
ただ、当たりで貰える水あめは、通常より少し量が少ないんですよね。子供ながらに、せこい親父だなんて思っていました。
通常は、水あめを2枚のミルクせんべいではさみ、ソースか、梅ジャム、みかんジャムを塗ってくれ、更にその上の方の両側にもう2枚ミルクせんべいをはさんでクマの形にしてくれたりしてました。
たまにとんがり帽子で鼻を作ってくれタヌキだかキツネだかを作ってくれたりもします。
でも当たりで貰えるものは、そこまで凝ったことはしてくれませんでしたね。
悲しかった思い出もあります。ある時、紙芝居屋さんが来たのに私はおこづかいが貰えませんでした。理由は覚えてませんが、悪さかなんかして叱られたとか、そんなとこでしょう。
その時は電信柱の影から隠れるようにして、紙芝居を見た覚えがあります。悲しかったけど、ちょっと得した気分にもなりましたね。
今にして思えば、そんな子供におじさんは気づかない訳もなかったと思うんです。心やさしいおじさんだったんですね。
まあ、いろんな思い出がありましたねえ。

さて、前回駄菓子屋さんの話でも書きましたが、10円、20円のものをいくら売ったところで儲けなんてたかがしれてると思うんですよね。そう考えると紙芝居屋さんってそうとう重労働ですよねぇ。
紙芝居を自分で作って(専門に作る業者に発注するのかもしれませんが)、重い自転車ひきづって毎回通って…
駄菓子屋さんよりよっぽど大変だと思うんですがねえ。
ある本で読んだことがあるんですが、戦後たくさんいた紙芝居屋さんは、昭和45年頃には都内で50人ぐらいになってしまっていたそうです。やっぱり儲からなかったんですかねえ。
でもそこら中の横丁で見かけた紙芝居屋さん。この50人という数字は多いと考えるべきか、少ないと考えるべきか…。

その後、私は引越しをしたせいか、紙芝居屋さんを見なくなります(と言っても500メートルぐらいの近距離です。紙芝居が全然来ない様な距離ではなかったんですがね)。
そして、私がもう少し大きくなった頃、紙芝居屋さんは形を変えて私の前に現れました。
相変わらず水あめは売るんですが、もう紙芝居はやりません。その代わり、彼はゲーム性を重視させてきました。
お金を払うと、まず紙のくじをくれます。ボールがでると水あめをひとつ、バットは2つ、グローブが出ると3つくれます。
私たちは頭の中でグローブ、グローブなんて唱えつつ、ワクワクしながら、くじをめくります。
まあ、グローブなんて100回に1回もないんですけど、まだ幼い単純な私たちは引き込まれていく訳ですよ。
また、まず型ぬきを渡されて、うまくできると水あめをもうひとつくれたりしたおじさんもいましたね。
型ぬきっていうのは、どう説明したらいいんでしょうね。
薄く平べったい四角いおかしなんですが、そこに動物の絵なんかが彫ってあるんです。輪郭が溝になってて、その溝を爪などで割っていって、絵を抜いて完成させます。
それがなかなか難しい。細かいところは、針を使ったり、ふやかすときれいに抜けるんで舌でなめたりしながら割ったりします。
結構、技術が必要だったんですよねえ。
やっぱりこれも夢中にさせられましたよ。
今、思うと、いくら相手が幼いとはいえ、お菓子だけじゃ子供の心を引き止められないと思って、ひとひねり加えてきたんですかねえ。そうだとすると、なかなか考えてたんですねえ。

そんな紙芝居屋さんも今では全然、見かけることがなくなりました。
昭和から平成になった頃、まだ都内に紙芝居屋が5,6人いるという話を聞いたことがあります。
まだ、どこかへ行けば見られるのでしょうか。

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