■第97回『平賀源内と土用の丑』 |
06年07月21日 |
- 平賀源内って人、知っていますか?
- 江戸時代の人なんですが、どんな人かって言うと・・・うーん、どう言えばいいんでしょう。なんかいろんなことやってた人です。
- レオナルド・ダ・ヴィンチって絵画、彫刻、音楽、建築、医学、天文学、生物学など、様々な分野に精通していた人で「万能の天才」なんて呼ばれていましたが、平賀源内もそんな感じの人です。
- その源内は実はこのあたりに住んでいたんですよ。今の住所でいうと、江東区清澄1丁目にあたります。そういう訳で今回は平賀源内のお話です。
- 一応、本職は博物学者らしいんですよ。
- ただ、何冊もの浄瑠璃や歌舞伎の脚本を書いてヒットさせた作家の一面もありますし、伊豆で鉱脈の発掘なんてこともしてます。他には源内焼なんて陶器もつくったりしています。
- 特に有名なのは発明家としての一面と、プロデューサーとしての一面でしょうね。
- 発明家として言えば、寒暖計を完成してます。これは温度計のことですね。
- 他には火浣布(かかんぷ)なんてのもあります。石綿という繊維状の鉱物を編んで燃えない布として活用したのが火浣布です。
- 石綿っていうのは最近いろいろと問題になっているアスベストのことですね。
- ただ上記の2点はすでに外国で発明されており、源内のしたことは発明というより改良に近いのかもしれません。
- でも国内で作ったのは源内が初めてです。
- また当時の江戸は大した資料もなかったでしょうから、仕組みもよくわかってなかったはずです。
- そんな環境での完成ですから、これってすごいことだったんじゃないでしょうか。
- そして1番有名なのがエレキテルです。まあこれもすでにオランダで発明されていたんですけどね。
- これは静電気の発生装置です。箱の外側のハンドルを回すと内部のガラスと摩擦を起こし、発生した電気が銅線へ伝わって放電するようになっています。
- この電気実験をやっていた時期に住んでいたのが清澄なんです。
- 源内製作とされるエレキテルは国の重要文化財になってますし、当時の住居跡には碑も建っていますから、この研究に関しては特に高く評価されているんでしょうねえ。
- そしてプロデューサーとしての功績について触れてみますね。
- 彼は「東都薬品会」という日本初の博覧会を開催しています。薬品用の物産展で全国から薬用になる動植物、鉱物を集めたものだったそうです。
- それから夏になると土用の丑の日に鰻を食べるでしょ。あれも彼が関わっているんです。
- ある意味、これが源内の残した1番の功績の中かもしれません。我々にとって1番身近に目にする事ですから。
- まずは土用の丑の日の説明からしましょう。
- 土用とは立春、立夏、立秋、立冬までの数日間を指します。つまり土用って年に4回あるんですね。
- その期間中のそれぞれの日に干支で名前をつけます。子の日、丑の日、寅の日ってね。土用は18〜19日間あって干支は12種類ですから、期間中に丑の日が2回ある場合もありますね。
- そして鰻で有名な土用の丑は、夏の土用の最初の丑の日を指します。
- そもそもなんで土用の丑の日に鰻を食べるかご存知ですか?誰も知らないと思いますよ。
- だって特に意味はありませんから。
- ある時、鰻屋が、夏場の鰻の売れ行きが伸び悩むことで、源内に相談をしました。
- すると源内は、「本日、土用丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めました。
- 「万葉集」に大伴家持の「石麿にわれ申す夏痩せに良しといふ物そ鰻取り食せ」という、夏痩せの友人に鰻を食べるように勧める内容の和歌があります。
- また、丑の日は最初に「う」の字がつくことから、この日にうどん、うり、梅干しなどの「う」のつくものを食べると食当りしないという言い伝えがありました。
- そして、物知りとして有名な源内の言ったことなので信憑性があると思われたということもあるようです。
- 張り紙をしたことで鰻屋は大変繁盛します。
- その後、他の店もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習ができたそうです。
- これが日本初のキャッチコピーとも言われています。
- ただ、源内が鰻を広めたとの説が有力ですが、他にも諸説あってこの話が事実だとは言い切れない部分もあるようです。
- しかし、その後も源内は歯磨き粉のCMソングを作ったり、餅の広告コピーを手がけています。
- そう考えるとあながち嘘でもないような気はしますね。
- なんにせよ、鰻はビタミンB類が豊富に含まれており夏バテに効果があるのは事実で、夏に鰻を食べるのは理にかなっているようです。
- 今年の土用の丑の日は7月23日です。平賀源内のエピソードを話題にして、鰻を食するのも乙かもしれませんね。
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