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下町の顔
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2.きっかけは大学紛争
★どうして落語家の道にはいられたのですか?
大学進学挫折ですね。僕は学校の先生になろうと思っていた。僕はある学校の付属にいたんで、そのまま大学に入ろうと思えば入れたんですが、昭和39年頃、高校二年生のときに東大紛争が始まりましてね。大学の学生のほうがマイク片手にアジ演説をしたりして、それを見ていていやになっちゃったんですね。結局大学に進学しなかった。

小さん師匠の「さん」の字を戴いて
★それが何故落語家に?
それが面白いもんなんですよ。小学生の頃の作文に映画監督か喜劇役者か、落語家って書いてあったんですよ。当時、雲の上の一座のエノケンさんや大宮伝助さんが面白くてね。おじいちゃんに連れられて浅草に行けばそういう人たちがいたんですよ。それにあこがれていたんですね、小学生の頃。
それが基本線になっていたかと思うのですが、大学行くのをやめたから勉強もしなくなったでしょ。そうすると学内選考もどんべ(笑)。どうすんだお前。何になるんだよ。噺家になりますってペロっと言っちゃった。そんなことを言ってしまうと、噺家になるようになるように動いて行っちゃうんです。それを言った途端に、今までなかった落研が高校に出来たり、いとこが浅草で持っているお店に演芸関係の人がきたり、僕を噺家になるほうへ乗せていきましたね。

★運命だったのかもしれないですよね。かっこよく言えば。
そうですね。僕は小さん師匠のところに弟子入りしたいと、ある方に訊いたら、師匠はもう弟子がいっぱいだから取らないよとのこと。その頃、うちの親父の店にきていたお客さんが「オタクの息子今年卒業じゃないか。どうするんだよ」「いや噺家になりたいって言ってるよ」「噺家ってだれの弟子になりたいんだよ」「小さん師匠だって言ってるけど、弟子を取らないって。落語家になんかさせたくないんだけども」って言ってるはなから、その話をしたお客さんが小さん師匠の古くからのお知り合い。今まで親父とお客さんの間でそんなこと一言も出なかった。それで師匠に紹介してもらう道がついた。自分の望んでいた方向へポンポンポン!と。僕は何の努力もしなかった。小さん師匠は僕が実際に行ったときは弟子がもう6人もいてとらないと言ったんですよ。

★6人って多いほうですか?
多いですよ。しかも同期ですよ。先輩とかじゃなくて僕と同じ時期に入った人が6人も。そこに入れた。運命としか言えないですよ。

★芸名の由来は?
小さん師匠の所はもう直系の名前はなかったんです。二つ目になったとき、師匠が「名前をどうしようか。おい、お前本名は」「稲葉です」「じゃ稲葉家うさぎになれ」「……」「いやか、やっぱり。そんなこといっても、もう名前ねぇぞ。お前自分で考えろ」。大勢いるから師匠面倒くさくなったんですね。「じゃ師匠、小さん師匠のさんの字をいただいて、橘家円喬師匠の喬の字をいただいて、さん喬でいかがでしょうか」「そんな名前で、おめぇがいいならいいよ」って。

★修行時代に辛いと思ったことはなかったのですか?
一度もなかったですね。うちの師匠を僕は弟子入りする前から好きでしたけど、弟子入りしてさらにうちの師匠は何てすごい人なんだろうって思いましたから、辛いなんて思ったことないですよ。その師匠の下にいられるだけでも幸せですよ。同じ空気吸ってんだって。前座の頃だって「おお小稲!お茶入れろ!」僕の入れたお茶を師匠が飲んでいる!そんなもんですよ。うちの兄弟子の鈴々舎馬風師匠が、「師匠の後姿を見ると抱きしめたくなる」と言いましたが解かる気がします。
私はどうにかこうにか噺家として食わせてもらっている。本当にもう師匠のお陰です。

★どうですか。今は弟子を育てる立場になって、ご苦労というものは。
僕は弟子を取るのは師匠への恩返しだと思っていますので、その苦労というのはないですね。ただ、苦労というよりも心配が多すぎます。
僕が死んだらこいつら食っていけるのかな。親心のようなもの。育てる苦労というよりも、なんとか一人前、いや一人前にならなくとも、せめて人様にご迷惑のかからない生き方が出来ないものだろうかと。だから、そのことについての小言しか言いません。芸しかないんだよって。要領のいい生き方をしても何しても基本的に芸があって永らえることになりますからね。

★礼儀作法などどこで教えていくんですか。しきたりなどあるのでしょ。
それはもうその中で、一般社会では多少は通じても僕らの世界では駄目だよって。例えばご飯食いに行きます。後輩のほうに先に料理が届きます。お蕎麦だから伸びちゃうから先に食べろよと言います。お先に頂戴しますって。先輩がああいいよ気にしないで先に食べなさいよって。そうするとはいっ!って先に食べちゃう。これは、はい!じゃ駄目なんですよ。恐れ入ります。有難うございます。お先に失礼します。そういう言葉があって初めて敬意というものが相手に伝わる。本来だったら先輩の料理が来るまで伸びても我慢しなければならない。そこには人が与えてくださった情がある。それを、はいお先にでは感謝ではない。
それが落語にも通じる。独りよがりの芸なんか駄目。いつも自分がへりくだった中でお客さんにわかっていただけることを考える。それが若いうちから「分かるぅ?」じゃ駄目なんですよ。どうしても「分かるぅ?」という芸をやりたくなる。分かっていただけますかという芸をやるようになると、それが普段の礼儀にも出てくる。

★お弟子さんの中にはいろいろな持ち味の方がいますよね。さん喬師匠の想いと相容れないときはないんですか?
例えばギャーと出てきてお客さんがわァーと喜んでいたら、こんな弟子の芸、おれの芸じゃないったってね(笑)。それをお客さんが笑ってくださっているのなら、肯定して伸ばしてやらなければいけない。これを否定したら笑いがなくなってしまう。お前もう少し抑えたら、ぐらいでしょうね。
相手を否定することは自分が優位に立っている勘違いがあるんですね。剣道で五段稽古というのがあるのね。五段と戦って二段の人がどうやったって適うものじゃない。五段の人がおれは強いだろうってやったら二段の人は伸びない。僕も、ああお前そういう考え方をしているのか、なるほどな、そういうこと気がつかなかったなと、思うようにしてます。

3.人と接する瞬間瞬間を大切にしたい
★では後半の質問に。どんなお子さんでしたか?
僕は兄貴がいなければ何も出来ない弱虫で、親父やお袋に、お前は兄貴の金魚の糞だとよく言われましたね。中学校時代も兄貴のおかげでいわゆる当時の不良グループからいじめられることもなく育ちましたね。うちの兄貴はかっこよかった。けんかも強かった。だからおれ稲葉の弟だよというとみんなスーといなくなっちゃう。そういうことによく遭遇しましたね。兄貴は44歳で亡くなってしまいましたけど。

★目立たない少年時代でしたけど、人前で話すようになっちゃったんですね。
面白いですよね。小学校二年生の時にね。学芸会に無理やり出されたんですよ。未だにそのセリフを忘れませんけどね。胡桃割り人形の芝居。僕は木馬の役。「待ってて、どうしてさ」のその一言だけ(笑)。未だにそのときの状況は思い出せる。それが人前でパフォーマンスする初めで心地よかったんですね。

さん喬師匠の高座風景
★では下町のことを。好きなところ、良さはどこですか?
下町の良さは他所に出て初めて分かるんだなぁと思いますね。他所に行ったときに人間に対して空々しい部分があるんですよ。下町にはそれがないですから。
地方から出てきた男の子がずっと奉公をして、やがて一人前になって親方と言われるようになりますね。その人がどうなっていくかというと、やっぱり義理人情を踏まえて行動をするようになってきますね。下町に住んでいることによってね。根底にある下町の良さを踏襲していってくれる。ちょっとお茶くらい飲んでいきなよという声のかけ方。そういうことができるようになっていく、情の深さ。それしかないでしょ。物価だってそんなに驚くほど安くはないですしね。

★それでは最後に座右の銘を。
僕の作った造語ですが「日々怠らず日和見であれ」ですね。その日その日しか自分の人生はないんだろって考えろ。明日があるってことでもう怠ってしまう。今日でおしまいって考えたら、人に対する気持ちも違ってくるでしょ。

★その日一日を頑張ろうってことですか?
頑張らなくってもいいんです。だけど今、瞬間の人との接し方を大切にしたい。もう生涯会わない人かもしれないですからね。
沖縄の竹富島で島を離れようとしたときに小学校5年生の女の子のお母さんが駆け込んできて、うちの子供が「どうしてもサインをお願いしたい。写真も撮ってきて」と言われたって。お安い御用ですよって言ったんですが、「うちの子供は昨日落語を聴いて喜んで帰ってきました。今日こなかった人は一生の損をした人だと言いました」ってそのお母さんは言うんですね。僕はそれまで一生の損だということなんて考えたことがなかった。その子は10歳か11歳の子ですよ。その子が一生の損をしたって言う。その言葉に僕は非常に感動をしましたね。
明日も生きることを前提にして、今生きていることが一生という考え。アダやおろそかに今日の一日をすごせない。ところがアダやおろそかに一日を過ごしているんですよ。まあそんな風に思っても明日は明日の風が吹くって。そのくらいのことで思ってなければ生きてはいけない。そういうわけです。


苦労はなく楽しい修行時代だったとのことでしたが、取材中の並々ではない気配りに、今あるのはご精進を重ねられた賜物と推察されて頭が下がりました。お話の合間に落語の<若旦那>や<高尾太夫>や<裏長屋のがき>を彷彿する語り口がちらちらと垣間見られて、さすがに演じ分けでは落語界屈指の師匠と、なんだかすごく得した気持ちで取材場所をあとにしました。
※2004年8月収録
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