- さてようやく音楽の話に到達できそうだ。ダニー・ガットンというギタリストをご存知だろうか。本来カントリー系の人間なのだが、器用にもジャズまでこなす。彼の場合は、この器用さが災いしたか、高い評価を受けたとは言いがたい。「世界で最も偉大な無名ギタリスト」という有り難くない肩書きをいただいてもいる。名門ブルー・ノート・レーベルが1992年にリリースした「ニュー・ヨーク・ストーリーズ Vol.1」という企画盤CDに彼のギターが収録されている。ジョシュア・レッドマンやロイ・ハーグローヴらと楽しげにセッションをしているように聴こえたものだから、新人ギタリストが抜擢されているのかと思いきや、インターネットで調べると、ベテラン・カントリー・ギタリストという情報が出てくる。同名異人かとも思ったが、間違いないらしい。恐ろしく才能のある人間だなと思ったものだ。そのダニー・ガットンは、1994年に自殺した。いたく気に入り、これから彼の音源を集めてみようかと思っていたところで、死なれてしまった。
- カントリー・ミュージックは北米大陸では、非常に人気がある。日本にいては決して理解できない程度の人気である。聞いたこともないフェスティヴァルが数多く開催され、老若男女が詰めかける。ダニー・ガットンはカントリー界では相当の評価は受けていたようだが、ジャズ・フュージョン系では知る人ぞ知る存在だったと思う。ジャズに詳しい友人に訊いても、誰も彼のことを知らない。しかし、このサンプラーの存在が気になって仕方がない。業界筋では認められていたということになろう。正直言って、とてもカントリー系のギタリストが弾いているとは思えないスムーズな演奏なのである。残念でならない。
- またホワイト・ブルースの世界にも似た印象をもつ人物がいた。ロイ・ブキャナンというギタリストは、1970年代に「メシアが再び」という曲が2度ヒットし、業界筋では高く評価されている。自分は彼のギター・フレーズが好きでずいぶんコピーをしたものだ。就職して彼の名前を忘れかけた頃、いきなり悲報が舞い込んだ。かなり酒が好きであったことは有名だったが、こともあろうに、トラ箱で首をくくって死んでしまったのだ。大好きなミュージシャンの死に方としては、あまりにショックであった。
- もともとミュージシャンぽくない風貌の人間であったが、ペイントの剥げた渋いテレキャスターを抱えた姿は、親近感を覚える格好よさがあった。音のほうは意外なほどトリッキーで硬質なものだったので、ブルース・ロックといっても、速弾きを多用したハード・ロックに近い音が多い。1980年代に入り、音楽界がヴィデオ中心に動き始めた頃には全く名前を聞かなくなってしまっていたのに、1986年頃からは、ブルースの名門アリゲーター・レコードに迎えられ、デビューしたての頃の元気な演奏を彷彿とさせる、素晴らしい作品を連発し始めた。そんな矢先の出来事だったので、なんとも哀しい気分になったものだった。
- 結局のところ、よくよく考えれば、死ぬことなんてないはずの人間なのに、自殺してしまった連中はほかにも大勢いる。死後もすばらしい音楽は記録として残り、人々の記憶に留められることにもなる。それなのに人生を自ら短くする必要がどこにあろうか。普段からもっとよく考えて、人間の存在の小ささを自覚し、ほんの1000ヶ月ほどしかない期間をどれだけ楽しく過ごすかに注力することのほうが、よほど大事であることを認識すべきである。ともあれ自分は、これ以上ミュージシャンの哀しい死はもう見たくない。
- 一方で志半ばにして死んでしまうミュージシャンだって多い。ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリスンなど、数えあげたらきりがない。ゆっくり自殺しているような、また長生きする気がないような激しい生き方をした連中でもあったのかもしれないが、自分には随分と対照的に思える。あまり考えずにやりたいことをやっていたかのように映るその生き様が、かえって鮮烈でもあったりする。死を美化する気はないが、音楽の世界も厳しいものだとは思う。命をすり減らすように、短期間に才能を発露しきってしまうことも稀ではない。
- 一方、ジャズの世界など、死んでから初めて評価の対象になるような聴き方をする人間もいる。才能の有無ではないのかもしれないが、エミリー・レムラーという女性ギタリストがおり、彼女の演奏は死んだ人の音がするという人もいる。自分が最初に彼女の演奏を聴いたときも確かに同じ印象を受けたので、どこかしらにそういう要素があるのであろう。事実若くして亡くなったのである。1983年の「トランジッションズ」を繰り返し聴いて考えてみたが、判るわけはない。しかし死というものが、人間の感覚にそれだけ影響を与えるということは、避けられない自らの未来として意識下にあるのだから、致し方ないのであろう。
- ともあれ、ある社会で成功した人間が必ずしも幸せかどうかはわからない。人間に対する評価なんて、上がったり下がったりもする。いちいち気になんかしていられないとも思う。一方で長生きできることが、何よりも増して幸せなのかというとそうとも言い切れない。無病息災ではなくて一病息災くらいがよいとはよく言うことだが、長生きすることの方が幸せだという価値観からの言葉であろう。自分には、納得のいかない部分もあるが、人それぞれであろう。健康で楽しく長生きができればそれは幸せかも知れないが、人生はそれほど簡単に割り切れないところがあるので、面白いとも思うのである。
- サラリーマンの世界など厳しい部分もあるのかもしれない。あからさまに誰々は仕事ができるできないという相対評価をされ、ヒエラルキーにはめ込まれて上下に位置づけられてしまう。そもそも平等な人間に上下関係を割り付けること自体、何とも失礼なことだとも思う。その点、音楽の世界は売れてナンボという考え方もあるが、少数でも素晴らしいと認めてくれる人間がいれば、それで評価されたことにはならないのだろうか。一番売れなければいけないのか、グラミー賞をとらなければいい音楽ではないのか。決してそんなことはないではないか。自分のようなマイナーな音楽の方が好きな人間もいるのだから。頼むから、考えすぎないでくれ。もう自殺なんかしないでくれ。
- 最近少々体調が悪い。死にそうに体調が悪かった日にも、とても死ぬ気になれなかった記憶とともに、これを書いている。
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