- 考える時間は、とにかくタップリあった。モラトリアムと言われればそうなのだろうが、自分は3年ダブって大学に入っている。21歳の新人は若さの微塵もなかったように思うが、それまでに十分自分というものを見つめ、考える時間があったことは事実なのだ。世の中の20歳前後の人間がどういった生活をしているかは知りようもないが、普通の生活というものがあるとすれば、かなり違ったものではあったように思う。相当ストイックな生活をし、勉強もかなりしていた。自分なりに納得がいくだけの勉強はしていたと思う。事実それなりの成績は残したものの、大学入試には縁がなかったのか、落ちまくった。恐らく、こんなペーパーテストなんかで人間を評価することなんかできやしない、という考えがどこかしらでブレーキをかけていたのかも知れない。
- 一流大学を出てエリートコースを突っ走り、上を目指すだけの人生というのも、結果さえ出せればそれはそれでいいのかも知れない。上り詰めればそれなりの充足感もあるだろう。しかし自分は他にもやりたいことがいろいろあったし、上昇志向があまりない人間だった。結果的に壊れかけていた人間かもしれないが、その後20年以上も日々満足のいく生活を送っているのだから、自分の選択は正しかったと思う。氷山の水面上の一角になり得なかった上昇志向の強い大勢のエリート連中が、バブル経済崩壊とともに、自分が望んだものとは違うシナリオを歩まざるを得なかったことで壊れてしまった例は多い。業界再編に伴うリストラや倒産などという明白な歴史的事実が色を添えてくれているからには、我々の世代には有り難い言い訳もあることにはなるのだが。
- 結局は相対的な評価に埋没した競争社会で、また個人の特色もへったくれもないようなルーティンな流れのなかで、自分というものの存在価値が見出せなくなれば、自殺する者もいるであろう。考える余裕もなくエリート街道を突っ走ってきた人間にとっては、それは結構辛い現実でもあろう。しかし自分がいなくなっても、社会というものは当たり前に動いていく。「歯車」という表現で社会の構成員を表すこともあるが、歯車は欠けたら全体に不具合を及ぼすこともあるが、人間一人がいなくなっても社会全体にとって不具合が起きることはまずないのだから、人間というものは本当に小さな存在なのだということをもっと自覚しなければいけないのだろうとも思う。歯車様に失礼である。
- 一方それでも家族や友人など、ごく一部の人間には影響があるかも知れない。不具合を起さなくとも、悲しいという感情を引き起こしたり、記憶に留まることも事実である。通常人一人が死んで誰も悲しまないということもないであろうし、それだけが支えというのも、実はあまり好ましい考え方とは思わない。歴史に名を残す人間でもなければ、当たり前のように忘れられていくのである。歴代総理大臣ですら日本史のテストで全員が正解するほど名前を覚えられているわけではない。むしろほとんど思い出せないのではなかろうか。
- どのみち人間は100%死ぬのであるから、何も急ぐことはない。ゆっくり与えられた人生を楽しめばいいではないか。以前にも書いたが、日本は毎年3万人を超える自殺者がいる国なのである。国策のように、繰り返し交通安全週間というものが実施されるが、交通事故死者数ですら年間1万人前後なのだから、国は自殺防止のためにもっと予算を割いて努力するべきではないか。またイラクでの人道支援として自衛隊を派遣しているが、その一方で国内では自ら命を絶つ人が大勢いるのである。おかしいではないか。3万人を単純に365で割っても82人もの人間が、毎日、毎日自殺しているのである。新聞やテレビで報道されないから実感が薄いのかもしれないが、これはもの凄い数字である。北朝鮮に食糧を送るのも結構だが、一方でこんな現実が国内で起こっているということは、おかしいではないか、小泉くん。
- また随分音楽から離れた話題になってしまったが、とにかく自分はよく考えた。多くの書物を読みながら、あれこれと考えた。そうすべきだと思ったからである。音楽は随分その助けになった。最近ではこうして書くこともしているので、いっそう考える機会が増えた。相変わらず活字中毒のような生活で、文章を読みまくっている。音楽も聴きまくっている。LPレコードの時代と違い、最近は長時間鳴らしておけるメディアが多く、考えることを中断されないので非常に有り難い。自分は正直なところ、考えることが苦手なのである。苦手意識があるからこそ、一生懸命考えるのである。
- 学生時代は小林秀雄の「考えるヒント」を繰り返し繰り返し読んだ。また先般池田晶子という自分と同年の哲学者が「新・考えるヒント」という本を出した。この本も繰り返し読むことになりそうな気がする。気がするというのは、現在一回読み終えたところで、まだ何回か読まないと満足できる程度の理解ができそうにないからである。小林秀雄にしろ池田晶子にしろ、頭のいい人がいるものだ。池田晶子の文章は、現代という時代に合わせる必要があったからか、随分簡単でわかり易い言葉で書かれている。しかしそれでも、まだ十分に難解な部分もあり、時々戻りながら読むことになる。そして大いに考えることになる。時間がいくらあっても足りない。人生を途中で終わらせるほどの余裕が自分にはない。
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