- 水は様々な音を織り成す。水琴窟のように地中に埋めた瓶に反響する水のしたたる音を楽しむ装置もある。一方で鉄砲水などの自然災害のときには、地響きとともにそれは恐ろしい音がするという。海岸に打ち寄せる大波や、大きな滝つぼでも相当に迫力のある音を聴くことができる。人間は生まれてくる前は、母体の中で羊水に浮かんでいる。この頃の記憶が脳の奥深くに残っているのだということで、水の音で癒されるという説もある。単に喉の渇きを癒すのではなく、面白いとは思うのだが、あまり信じてはいない。また養鶏場のニワトリに小川のせせらぎの音を聞かせると、卵をいっぱい産むということは統計的に立証されているというから、何かしら作用するのではあろう。
- 最近の暑さには閉口するが、シュポンという音とともに、グラスに注がれる音を聴かされると、堪らず喉が鳴る。ついでに泡が盛り上がってくる場面まで見えてくる。夕方にこんな音を聴いてしまっては、仕事が手につかなくなるか、もう一踏ん張りとやる気が出てくるか、それは人それぞれだろうが、いずれにせよ人間の意識に働きかける・・・失礼、これは水ではなかった。
- まあそれでも、夏になると厚さを忘れるためや渇きを癒すために聴きたくなる音楽というものは確かにある。自分の場合、普段は目に着かない場所にしまってあるのだが、夏になると取り出してきて頻繁に聴くものに松岡直也のアルバムの数々がある。海辺で聴くには最高のサンバやカリプソを聴かせるベテラン・ピアニストではあるが、いかにも日本人好みの美しいメロディと、永遠には続かない夏の終わりを予感させる哀感の漂うフレーズが、何とも心憎い。ペッカーやウィリー長崎によるラテン・パーカッションと高橋ゲタ夫の腰にくる素晴らしいベースが好サポートをしている。彼らの音楽を聴くと、思わず踊り出したくなってしまう。熱くなって暑さを忘れることができるのであれば、これに越したことはない。
- 松岡直也の音楽は、一歩間違えるとただのポピュラー音楽になってしまいそうなほど耳に心地よい。ものによっては松田聖子のヴォーカルが出てくるかと思うほどのポップなイントロを持った曲もある。一方で中森明菜が歌った「ミ・アモーレ」の作者は彼なので、そういった要素を完全に否定することはできない。ただしそういった音楽とは全然縁が無さそうな連中が演っているから面白い。バンドのメンバーはいずれも実力者揃いだ。特にリズム隊は凄い。日本を代表すると言っても過言ではないメンバーだ。また一方で常に日本最高レベルのギタリストが在籍しているバンドでもある。プリズムの和田アキラも数多くのアルバムですばらしいギターを披露している。また若手ミュージシャンを積極的に起用する松岡塾的なところもある。ある程度売れ始めてはいたかも知れないが、無名時代の久保田利伸がゲストで若々しいヴォーカルを披露する「ラテン・マン」という曲が収録された「ロング・フォー・ザ・−イースト」のようなアルバムもある。一方で日本が世界に誇るサルサバンド、オルケスタ・デ・ラ・ルスで大活躍をするカルロス菅野がヴォーカルとパーカッションを披露していた時期もある。類は友を呼ぶのか、すばらしい人脈となっているようだ。
- 彼のアルバムでなんと言っても好きなのは「セプテンバー・ウィンド」である。哀愁漂うタイトル曲はシンセサイザーと打ち込みのリズムで意外な気もするが、20年経っても色褪せない名曲である。またジャパニーズ・サンバの名曲「ノーチェ・コリエンド」も収録されている。また曲間には、彼自身が録音機材を担いで南太平洋まで収録しに行ったという波の音が入っている。夏向けのアルバムにはよくある演出とはいえ、こういった音にまで、こだわりを見せるところが彼らしいし、面白いと思う。人間は波の音ひとつでもよみがえる思い出を持っていたりもする。そこに哀愁を帯びたメロディがジャスト・イン・タイムで聞こえてきたりしたら、それはハマりもしよう。
- デートの小道具としてのクルマとドライブのBGMというものの魅力を知り始めた頃の大学生にとって、夏のBGMの定番となりつつあった松岡直也は非常に魅力的だった。リアルタイムで聴くことができたことを、神に感謝したいほどの気分である。哀愁を帯びたサウンドが提示する世界は、子供が背伸びするには最適だった。ポップな曲で惹きつけておいて、それでもそこらの流行りモノとは違うんだということをあれこれ説明していた。ナビ・シートの女の子に理解してもらえていたとは思えないが、自分なりに満足していたものだ。恥ずかしながら懐かしき我が青春の1コマである。
- 焼け付くような夏の日の思い出は、いつも手元に置いておきたいものではない。たまに取り出して、懐かしむ程度がよい。記憶の断片と水辺の心象風景が織り成すイメージは、年とともに美化されもする。年寄りの昔語りは好まないが、誰もがこういったものを大切にして生きているということを感じる機会が多くなってきた。当然ながら良し悪しを云々することではない気もするが、好きか嫌いかというと案外好きなのかもしれない。暑い夏の疲れにまみれたからだの火照りを冷ましながら聴く松岡直也は、格別の味わいとともに素晴らしい心象風景を描かせる素材になる。
- 浮かれて騒ぎすぎて熱っぽい体を、冷たいシャワーで冷ました感触や、喉の渇きを潤すドリンクが体に染み入る感覚が、脳の奥深くで刺激する。まだ行けるはずだ、もう少し、いいんじゃないか・・・。秋の気配を背中に感じながら、あと少しでいいから、このままでいたい。そんな感覚が甦る。・・・まだ大人になりたくない、という感情とリンクして。毎日同じことの繰り返しなんか嫌だ。規則正しい生活なんて勘弁してくれ。遊びほうけて、踊り狂って、疲れた体を横たえて、・・・アンニュイになりながらも、そんなことを水辺の景色が思い出させてくれたりもする。よし、久しぶりに海へでも行ってみるか。
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