下町探偵団ロゴ万談ロゴ下町探偵団ハンコ
東京下町Sエリアに関連のある掲示板、コラム・エッセイなどのページ
 トップぶらりグルメくらしイベント交通万談 リンク 

下町音楽夜話

◆第127曲(2)◆ この猟犬スライドに憑き
2004.11.27
日本には意外なほどブルース愛好家が多いということだ。確かに毎年、ジャパン・ブルース・カーニバルも開催されているし、大物ミュージシャンも来日公演を行っている。アメリカに次ぐ巨大マーケットではあるのだが、もう少し市場の状況が改善されれば、一般的な認知度もうんと高まるような気もするのである。その一方で、雅楽や歌舞伎や浄瑠璃などの日本の伝統芸能を勉強している外国人を見るときに感ずることと同じものを感じさせてしまうのか、多くのアメリカ人に言わせると、本当に理解できているのか疑問だというように言われてしまうこともある。ウィリー・ディクソンが亡くなったときに、残念だということを自分が言った瞬間に、アメリカ人の友人がなかなか信じてくれなかったことを思い出すのである。日本人がブルースを聴くということは、相当奇異に映ることでもあるようだ。

しかしよく考えてみると、現在は情報が瞬時に世界中を駆け巡る時代なのである。インターネットではありとあらゆる音楽の情報が世界中から発信され、玉石混交とはいえファンが作るウェブ・サイトの情報はにわかに信じられない量である。本当に最近のインターネットの進展は目を見張るものがある。またこのエッセイでも何度か書いたが、インターネット・ショッピングの手軽さを知ってしまうと、はまってしまうというか、ついつい余計なものまで買ってしまうようなところがある。随分長い間探していたものが、廉価盤のコーナーで叩き売りされていたりすると、情けなくもなるし、勿論嬉しくもあるのだが、音楽の値段というものがわからなくなってしまう。30年前のアナログ・レコードと現在のCDの値段はさほど変わっていないのだから、相対的に随分安くなってしまったものだ。他の物価から考えると10分の1、いやもっと安くなっているかも知れない。その一方で、アナログ・レコードのオリジナル盤が10万円代の値札をつけていたりする。音質は叩き売りされているCDの方がよかったりするのだから、理解し難い世の中である。

下町のオヤジが久々に犬のように走り回り、手に入れた盤があまりにも素晴らしく、ちょっと昔懐かしい感覚になってしまったのだ。昔の猟盤の結果は我が家の壁面を埋め尽くしているが、苦労して手に入れたからこそ愛着も深いということもある。しかし一方で、実態のないデジタル・データをダウンロード販売で入手して聴くような時代になってしまったのも事実だ。音楽を聴くことを目的とすれば、部屋を狭くする大量の円盤を自宅に並べることもしないで、何十万曲などというデータを、小さな機器にしのばせておくことができる時代なのだ。企業として大好きなソニーにケンカを売るつもりはないが、やはりそれは虚しいように思えてならない。プラ・ケースに入ったデジタルのCDですら、苦労して手に入れたものが素晴らしければ、それなりに嬉しくもあり、こういった猟盤の楽しみを思い出させてくれるのである。

最近は、それに加えて紙ジャケットCDのように、愛着を持てるモノも市場に多く出回り、楽しくて仕方がない時代でもあるのだ。世界中のあちこちで飢えている人間がいることも事実だろうが、そういうことが気になって音楽を聴けなくなるということは、申し訳ないが、自分にはない。そんなことを言っている余裕が自分にはないのだ。とにかく短い人生の限られた時間を、少しでも多く音楽を聴きながら過ごしたいのだ。とにかくあまりにも入手困難であると、これ以上時間をかける価値があるか、という考えに戻ってしまうので、そういった音源を入手することに拘ることはしないようにしている。ほかにもいくらでも、未入手で聴いてみたいものはあるのだ。

しかも自分の場合、学生時代に聴き慣れた昔懐かしい音楽が非常に好きなこともあり、オリジナル性を追求すれば、まずLPということになってしまうのである。メディアの拘りはないわけではないが、それでも実態のないデジタル・データをダウンロードして満足できるかというと、やはりノーなのである。収録時間も短くて裏返す面倒があっても、アナログ・レコードの暖か味のある音は絶対的に魅力があるし、最近のデジタル・リマスター盤のCDの音質のよさは、その手軽さともあいまって、恐ろしく魅力を増しているのである。

とにかく聴ければいいというものではないので、それなりに音質には拘るし、モノに対する拘りだってある。そういう意味では、何か時代が違う方向に行ってしまうのでは、ということが気がかりでならない。間違ってもダウンロード販売で満足ができる人間に紙ジャケットの魅力や、アナログ・レコードのプチプチというノイズの魅力が理解できるとは思えない。ましてやアナログの、あのすえたカビくさいような匂いが好きな人間など、変態扱いされそうだ。そもそもコレクターという存在を根本から覆すような、最近の音楽業界の有様には我慢がならない。最高のお得意様をないがしろにして、いい結果は待っているはずがない。便利にはなっても、マーケティングの限界とでもいうべき、危機的状況は当分続くであろうし、技術革新とともに、まだまだ大きな変革に見舞われる業界なのだろう。

たった2枚のスタジオ録音を残し、癌で逝ってしまったこの熱いブルースマンの晩年のライブ音源を聴いていたら、やりたいことをやれるときにやっておこうという気持ちがムクムクと湧き上がってきてしまった。自分が死んだときには、この部屋を埋め尽くす6000枚を超えるレコードやCDはゴミと化すわけだが、それでも構わない。これは単なる音楽データが収録されているメディアが集積してあるだけではないのだ。自分という人間の思いが籠もった何物か、怨念のようなものがきっとそこには残るのだろう。デジタル・データという実態がないものには、やはり実態のない怨念が乗らないというだけのことかも知れないが。それはさておき、怨念も籠もっていそうなハウンド・ドッグ・テイラーの唸るようなスライド・ギターは、やはり・・・アナログで聴きたかったなあ。何とも欲深き、煩悩にまみれた猟盤の日々よ。
<<前のページへ