- J.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」も、1979年に大ヒットした1枚だ。これもウェストコースト・サウンドを代表する一枚だが、やはりそういった捉え方をするのは日本人だけらしい。アメリカでは圧倒的多数で、彼の代表作は「ブラック・ローズ」ということになるのだそうだ。1972年のデビュー盤はまだシンガー・ソングライター然としたアルバムで、内容的には少々地味だが悪くはない。しかし、彼の代表作とはいい難い。続く1976年のセカンド・アルバム「ブラック・ローズ」は、イーグルスの面々やジャズ・フュージョン系の人間も含む総勢40名を越えるミュージシャンが参加し、ストリングスまで導入した大作である。一方3枚目の「ユア・オンリー・ロンリー」は、小編成のバンドで録音した小気味よいロックンロール・アルバムである。確かに評価は分かれるだろう。「ユア・オンリー・ロンリー」のタイトル曲はハイトーン・ヴォーカルがオールディーズを想起させる、エヴァーグリーンな輝きに満ちた名曲である。それにしても、この盤、笑ってしまうほど、カーラ・ボノフの「レストレス・ナイツ」と同じメンツで録音されているのだ。当然音も似てくる。どうしてもイメージ的にダブッてしまうのは仕方がないのだろうか。
- メンバーの話でいけば、ここで音的な鍵を握っているのは、実はピアノのドン・グロルニックではないかと思うのだ。彼はブレッカー・ブラザーズやデヴィッド・サンボーンらと活動をともにすることが多い、ジャズ系の人間である。決して忘れられないのが、マイク・マイニエリとマイケル・ブレッカーの双頭バンドであるステップスが、六本木ピットインで録音した超名盤「スモーキン・イン・ザ・ピット」での彼のプレイである。ここに収録されている「サラズ・タッチ」は、1980年代ジャズの最高の一曲である。この曲のドン・グロルニックの印象的なピアノが、20年以上経っても、耳の奥から消えないのである。実に端正な、極上のピアノを聴かせているのである。そんな彼がこの時期、意外なことに、多くのロック系アルバム、例えばリンダ・ロンシュタッドやスティーリー・ダンなどのアルバムに参加しているのである。そして、先述の2枚、「レストレス・ナイツ」と「ユア・オンリー・ロンリー」両方のアルバムで、印象的な乾いた音のピアノを聴かせ、2枚の名盤を決定的なものに仕上げた張本人だと思うのである。
- そしてもう一人、ここで触れないわけにいかないのが、ベースのケニー・エドワーズであろう。カーラ・ボノフやアンドリュー・ゴールドとともに、1960年代末、ブリンドルというグループを立ち上げた一員である。早くからリンダ・ロンシュタッドらに認められ、L.A.のスタジオ・ミュージシャンとして名前を売り、ブリンドルの仲間を引きずり込んでヒット作を作らせた張本人というわけだ。決して目立ったプレイをするわけではないのだが、何とも安定感のある、いぶし銀の存在であるということに異論はないだろう。自分にとって、ドン・グロルニックとケニー・エドワーズは、大好きなミュージシャンのかなり上位にくる2人なのである。
- さて、そんな1979年の夏、自分がつきあっていた女の子は、横須賀に住むクラシック好きだった。趣味もものの考え方も全然違っていたので、長い付き合いになるとは思っていなかったが、全く別の理由から短い付き合いになってしまった。フェイドアウトするように会わなくなってしまってから程なくして、彼女は病死してしまったのだ。2人きりでいることはあまりなく、5、6人でワイワイやっていることの方が多かったのだが、その内の一人と数年後に電車の中でばったり会い、知らされたことであった。ショックはショックだったが、道理で連絡もしてこなかったわけだと、納得もした。その一方で、何だか別世界のことのように聞こえてしまった、というあたりが正直なところだった。
- 当時どこの店でも頻繁にBGMとして流していた「ユア・オンリー・ロンリー」と「トラブル・アゲイン」を、自分がいかにいい曲かということを語って聞かせたとき、彼女は笑顔で何も答えなかったことがいまだに忘れられない。恐らく全然いいと思ってなかったのだろうが、面と向かって否定もしなかったのは、彼女の優しさかも知れない。決して彼女との思い出の曲ということではないのだが、この2枚のアルバムのジャケットを見ると、必ず思い出すシーンなのである。2枚ともうつむき加減のポーズが、何となく夏の終わりを感じさせるような寂しさやアンニュイさを含んでいるのだが、曲の印象や内容的にはそういうものではないし、若干寂しさを感じさせるメロディもあるが、そういうシチュエーションなら、もっと相応しいものはいくらでもあるだろう。おそらく、すれ違いに近い人間関係だったろうが、そのイメージに丁度はまっているのかも知れない。実はカーラ・ボノフのコンサートは、これまでも行く機会はあったのだが、避けていたことでもある。今回思い切ってチケットを購入し、何か印象が変わるのか、自分でも判らないでいる。
- 先日、卒業してから30年になる中学校の同窓会のお誘い葉書が届いた。何ゆえ現在の自分の住所が知られているのか驚いたものだが、まあどうでもいいかと放ってある。別に嫌な思い出があるワケでもないのだが、何となく後ろ向きな同窓会というものに嫌悪感があることも否定はしない。誰々と誰々が亡くなったなどという知らせも書いてあったが、年をとればそれも致し方ないことだろう。ともあれ、下町の人情に絆されながらも、人と人の繋がりが大事だなどとうそぶいて、一方自分の人間関係には妙に消極的で、そんな自分の冷たさに半分呆れながら、忙殺されるがままに人生の無駄遣いをしている。そんな自分こそ、実は「ユア・オンリー・ロンリー」なのかも知れない。
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