- この25年間、夏になると必ず思い出す音楽がある。別にチューブやサザン・オールスターズのように、夏になると目立ってくるというのとは違う。物憂げなジャケットと物憂げな声、あの夏のけだるさが蘇ってくるのだ。青春映画が輝いていた時代だったし、映画のストーリーは現在ほど難解なものではなくても十分に評価された。そんなシンプルな映画のワンシーンのように、あまりにも中身とジャケットがマッチしていた。そう、今でも宝物のように大事にしている2枚のLPレコード、カーラ・ボノフの「レストレス・ナイツ(ささやく夜)」とJ.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」である。どちらも、まるで失恋でもしてみたくなるような音楽だった。これは普遍性をもったセンチメンタリズムを狙ったものなのだろうか。典型的なウェストコースト・サウンドなのだが、オールディーズの語法を取り入れ、いつの時代の音楽か簡単にはわからないように料理されている。それがまたいい塩加減なのだ。
- この時代の西海岸には、前回ご紹介したアンドリュー・ゴールドをはじめ、多くの優れた才能が集まっていた。トルバドール・サーキットと呼ばれた連中は、必ずしも地元の人間ばかりではない。成功を夢見ながら大都市L.A.を目指して地方から出てきた連中が、最初に向かったのがこの「トルバドール」というクラブだったということだ。この店のステージで注目され、レコード会社との契約に漕ぎつけ、後々大物になったミュージシャンはジャクソン・ブラウンやイーグルスをはじめ、枚挙にいとまがない。イーグルスのサクセス・ストーリーが、「ホテル・カリフォルニア」で歌われた、病めるアメリカが抱えていたカリフォルニア幻想とリンクして重苦しく語られる陰で、いくつものサクセス・ストーリーが営まれ、そしてその何倍もの数の夢が儚く壊れていった舞台なのである。
- そもそもウェストコースト・サウンドなどというものが、きっちりと定義できるかたちで存在するわけではないのだ。それでも、ウェストコースト・サウンドというと、ある程度イメージできるものがあることが面白い。バーズやイーグルスに代表されるカントリー・ロックや、バーバンク・サウンドと呼ばれたドゥービー・ブラザーズやリトル・フィート(この二つのバンドだって、全然似ていないのに、ひと括りにされるのだから随分乱暴な話なのだが)の軽いファンキー・テイストが心地よいロック・バンドも内包される。L.A.を中心に活動していたシンガー・ソングライターの一派だっているし、もっとスワンプ寄りの連中も多く活動していた。さらにはヒスパニックやテックス・メックスに近い音を出す連中だって、ロス・ロボスを待たなくても、1970年代からたくさんいたのだ。
- L.A.のカルチャーは、ハリウッドだけを切り口に語らなくとも、人種の坩堝と言われるニュー・ヨークに負けない多様性を持っている。その音楽版が、ウェストコースト・サウンドと総称されていたのではなかろうか。つまり、何でもありなのだから、これこれときっちり定義などできるわけがないと思うのは、決して間違っていないはずだ。ただヨーロッパ色は薄く、その他の民族色が濃い。東海岸と対比したときのそういった違いは厳然としてある。では何故イーストコースト・サウンドという言葉が一般的ではないのだろう。結局のところ、ヨーロッパを向いて文化が構成されている東海岸の、ニュー・ヨークやボストンあたりの音に対する対概念としての西海岸の音、東がタップリもっていた湿気がまるでない音、カラッとした音とでも言うべきものがウェストコースト・サウンドであり、湿気が多い音などといってイメージできるはずもない東海岸の音世界と比較すれば、反面、絞り込みやすいということも頷けなくもない。
- ではウェストコースト・サウンドは、みなカラッとドライな爽やかさを持っているのだろうか。一歩間違えばほこり臭いほどにドライな連中も多いことは確かだが、湿気が多い人間だっている。その代表がカーラ・ボノフなのである。どうしても対比されてしまうリンダ・ロンシュタッドが、カントリー・ロックからスタートしたメキシコ系の陽気な歌姫だけに、「陽」のリンダ・ロンシュタッドに対する「陰」のカーラ・ボノフとしてとられてしまう。ついでに言えば、アメリカ人的ではないほど上品で、奥ゆかしさを持っているということも彼女の特色であろう。
- 本人がデビューする前から、既にビッグネームとなっていたリンダ・ロンシュタッドに、3曲もの自作曲を取り上げてもらった彼女のデビューは、周囲の期待が非常に大きかったこともあろうが、案外静かなものとなった。リンダ・ロンシュタッドの歌声でおなじみの曲が含まれていたとしても、最小限の音構成で静かに歌われる地味な内容のデビュー盤は、大したヒットは記録していない。しかし、セカンド・アルバム「レストレス・ナイツ」は、当時すでにL.A.のスタジオ・ミュージシャンの中心的存在になっていたアンドリュー・ゴールドやケニー・エドワーズという、トルバドール以来の仲間に支えられ、無理やりに近いかたちでポップなものに仕立て上げられた。何せ、1曲目の「トラブル・アゲイン」のギター・リフときたら、1970年代ウェストコースト・サウンドを代表する最高の一発とも言えるものだった。
- その他にも「ベイビー・ドント・ゴー」など、何曲かのロック色が濃い曲を含んだ「レストレス・ナイツ」は、彼女の代表作となるばかりか、ウェストコースト・サウンドを代表する名盤となってしまった。本人の意思とは別の力でヒットはしたものの、結局本人がやりたかったのは、もっとアコースティックで、シンプルで、プリミティヴな音楽だったようだ。その後のアルバムも、皆佳曲が多く含まれているものの、悪く言えば地味な内容のものばかりである。ただしこういう捉え方は日本特有のものらしく、日本では彼女の代表曲とされる「トラブル・アゲイン」は、アメリカでは全くヒットせず、ベスト盤にも収録されていない始末である。当時、街中で一日に何度も耳にしたあのリフは、アメリカ人には受けないのだそうだ。全く不思議でならない。さて、そのカーラ・ボノフが今年も来日する。過去に何度も来日し、固定ファンも多くいるこの国は、彼女にとっても居心地がいいことだろう。自分はラッキーなことに、7月31日の日曜日に横浜ブリッツで開催されるコンサートの、1列目真ん中あたりのチケットが確保できてしまった。さあ、大変だ。
|