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下町音楽夜話

◆第227曲(2)◆ バック・ホーム
2006.10.28
素晴らしい才能を持っていても、病によって活動がままならないミュージシャンはやはり気の毒である。好不調は誰にもあるだろう。特にスランプ程度のものは、当然のように訪れるだろう。常に絶好調などという人間は見たことがない。集中力でそういった波を克服し、常にクオリティの高い作品を作り続けたビル・エヴァンスのような例外的な人間もいるが、彼とて、未発表音源集などで聴かれる、集中できずに苦しんでいるような場面があったというのだ。音楽の創造の現場のプレッシャーというものは、やはり素人には想像もつかないものらしい。ひどい場合は、本当に指が動かなくなってしまう人もいるという。自分も演奏する前の緊張感を知らないわけではないが、どちらかというと、心地よい緊張感だったので、正直なところ、理解できているわけではない。

フィニアス・ニューボーンJrの病は、精神疾患だったが、これにひどいアルコール中毒が加わり、晩年は悲惨な状況だったという。結局ライヴ活動もままならず、シーンにとどまることができずに、幻のピアニストのようになってしまうが、ハロルド・メイバーンやマルグリュー・ミラーなどの現代の中堅ピアニストには、彼を尊敬し、彼のスタイルを継承する人間もいる。彼の死後に、錚々たるメンバーで録音された「フォー・ピアノズ・フォー・フィニアス」というアルバムもあるほどで、テクニシャンだけに、シーンにおける評価以上に、演奏家には評価されていたようだ。

そのほかにも、彼を何とか盛り上げて活動させようとした人間もいた。コンテンポラリー・レコードのオーナー兼プロデューサー、レスター・ケーニヒである。彼は1950年代に頭角を現し、人々を驚かせたフィニアスの、絶頂期を演出した張本人でもある。「ア・ワールド・オブ・ピアノ」や「ザ・グレート・ジャズ・ピアノ・オブ・フィニアス・ニューボーンJr」など、1960年代前半の一連の作品は、やはり素晴らしいクオリティの演奏で、驚かされるものばかりである。彼は、フィニアスのピアノに心底惹かれ、何とかレコーディング・セッションの場に引き戻そうと努力したらしい。1964年以降、根気よく治療を続ける間も連絡を取り続け、待ち続けたということだ。そして実現したのが、先述の「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」のセッションである。

また、ベースのレイ・ブラウンもフィニアスの才能を支持した一人で、1969年の「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」のセッションが忘れられず、再度のセッションを強く希望したという。1976年9月に、ようやくそのチャンスが訪れる。早速に1969年のセッションでも叩いたエルヴィン・ジョーンズをL.A.に呼び寄せ、レコーディングされたのが「バック・ホーム」である。正直いって少々心もとない演奏ではあるが、あのフィニアスの温かみのあるピアノに間違いはない。「シュガー・レイ」や「バック・ホーム」で聴ける滋味とでも言うべき暖かい音質のメンフィス・ブルース・スタイルのピアノが、なんとも嬉しい。また「ラヴ・フォー・セール」など、きっと練習曲のように繰り返し演奏したであろう曲に関しては、やはり個性が光っている。途中からアップテンポに切り替え、すばらしいテクニックを披露する。しかし、さすがにライヴ活動を行っていなかったせいなのか、閃きのようなものを感じる演奏ではない。

レイ・ブラウンは、さらに録音活動を続けるように仕向ける。結果的に、ドラムスはジミー・スミスに交代するが、自らがプロデュースを買って出て、同年12月には「ルック・アウト!フィニアス・イズ・バック」として名門パブロに、録音を残す。幾分こちらの演奏のほうが、まだフィニアスらしいアタックの強さも感じられ、自分も好きなアルバムではある。第一タイトルからして、天才ピアニストの復帰を祝いたい周辺の人間の喜びが感じられ、微笑ましいではないか。また、翌1977年には来日も果たし、これも録音が残っている。しかし、その後が続かなかったことが、また残念でならない。結局、故郷メンフィスから出ることもなくなり、1989年に癌で亡くなるが、レイ・ブラウンは1986年にも彼をシーンにカムバックさせようと、自身がプロデュースしてアルバム製作を行っている。このあたりのレイ・ブラウンの気持ちが分からなくもないので、またさらに残念でならない。

様々な問題を抱えながらも何度か復帰を試み、また彼を支えた周辺の人間がいて、その結果できたアルバムがいずれも素晴らしいので、妙に心に引っかかるものがあるのだ。色々考えながらも、このピアニストのアルバムをとっかえひっかえ聴いているわけなのだが、自分がこのピアニストを好きな理由はまた他にもある。というのは、彼のピアノの音色が非常に好きなのだ。典型的なメンフィス・ブルースを連想させる音なのだが、イメージとしては酒場の隅っこにある、決して高級ではないアップライト・ピアノのような音である。こういう表現には賛否両論あろうが、自分は、このラグタイムでも鳴らしそうなピアノの音が大好きなのだ。風貌からは、どちらかというと知的な印象のあるフィニアス・ニューボーンJrが、こういった音を出すことが、楽しくもあり、嬉しくもあり、不思議でもある。人間というものの、奥深さにいっそうの興味を掻き立てられる。

芸術の秋本番、夏ごろからジャズ三昧の下町のオヤジは、実に複雑な気分で、フィニアス・ニューボーンJrのピアノ・トリオを聴いている。活き活きとした「ハーレム・ブルース」で元気付けられながらも、下世話な楽しさすら感じさせるピアノの音色に諸行無常の悲しみを感じ、落ち込みがちな気分を無理やり持ち上げながら、気温がぐっと下がってきた夜長を楽しんでいる。冒頭で個性的ではないということを述べたが、ここしばらく聴き込んだおかげで、今は十分にフィニアス的なフレーズというものが理解できたし、また多くの後輩たちから愛された理由も、納得している。しかし、あのジャズ・ベースの大御所とも言うべきレイ・ブラウンが、フィニアスのどこにそんなに惹かれたのか、その辺はまだよく分からない。レイ・ブラウンの心裡を推察することが、目下最大の楽しみなのである。
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