- さて、ここにきて、いまさら新しいものを開拓して聴くということは、それなりに気力体力を要求されるということがわかってきた。もちろん、これは、35年間も洋楽漬けの生活を送ってきたという、少々特殊な事情が伏線としてあるわけだが、ただ決して新規開拓は嫌いではないので、新しいというだけで拒絶する気は、さらさらない。しかも、エスニックな女性ヴォーカルが、一定規模以上のマーケットを確立してきているということもあり、興味津々ではあるのだ。
- むしろ最近は、音楽的に実力のある美女がいっぱいいて、無視できない状況になったというべきか。何といっても、その代表格がシャキーラである。彼女は、母親がカタルーニャ系、父親がレバノン系マケドニア人というコロンビア生まれの美女である。英語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、アラビア語を話すというが、何より作曲の能力が高いし、歌も猛烈に上手い。クセのある声だが、ラテン系の血がそうさせるのか、リズム感が妙によく、聴いていて気持ちいいのだ。加えて、タンゴとロックの融合など、これまであり得ないと思っていたような要素をかけ合わせ、しかも現代性を織り込んでいるのだから、面白くないわけがない。どうやら、セックス・シンボルのような捉えられ方もされているようだが、そういった場合によくあるような、ついでにやっているような音楽とは次元が違うということを、世界は認識すべきだろう。
- マリーナ・リマも、最近はよく耳にしている。ブラジルはリオデジャネイロのクラブ・シーンを中心に1990年代前半に大ヒットした、「リオの夏、クールな風」は、ブラジル・ロックの大名盤である。今聴くと、フュージョン的な演奏のほうに耳が行ってしまうが、ちょっとハスキーなヴォーカルが妙にクールで、実に格好よい音楽に仕上がっている。このアルバムの録音当時で35歳だったというが、その経験をすべて良い方に結晶させ、「35歳の自分が好きだと思える」とジャケットに書いてしまうほど、自信に満ちた仕上がりであり、事実よくできている。手数の少ないキーボードとギターでクールさを演出している手法も、英米のポップス、ロックの模倣に堕していない潔さがあって、好感が持てる。
- さて、何だかんだ言ったところで、女性ヴォーカルということでは、ここしばらくは、圧倒的にマデリン・ペルーに尽きるのだが、彼女については、もう何度も下町音楽夜話に登場しているので、置いておくこととしよう。ジャズ・ヴォーカルというジャンルで括ってしまうのは少々無理があるかと思われる、カントリー・ベースの音楽とのボーダー上にある音楽は、原点回帰的な世情とも相俟って、注目度も高い。まもなく新盤が届けられるノラ・ジョーンズをはじめとした一群のミュージシャンは、ジャズやその周辺で人気を博しているというに留まらず、予想以上のポピュラリティを獲得しているらしい。洋楽全体で見ても、マーケットを牽引していくだけの実力も兼ね備え、すっかりメインストリームの一角に定着してしまったようだ。個人的には、昨年のダイアナ・クラールに関しては、少々期待外れで、二度と聴きたくないとさえ思っているが、アルバムのクオリティは低くないのだろうし、いい時代になったものだ。
- 女性ヴォーカルということでは、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーなども、CMで起用されて、再評価されているようだ。個性が少々足りない気もするが、「キス・ミー」はいい曲だし、彼女らの音楽には気分的に上向かせてくれる何かがあると思う。女性ヴォーカルは、エスニックなスパイスが程よく効いたものが好みではあるのだが、ジプシーのキャシ・クラレほど、ボヘミアンを体現していると、それはそれで、いろいろ考えてしまうので、これも別の機会に触れるとしよう。他にもジュリア・フォーダムやトレイシー・チャップマンなど、触れておきたい女性はいるのだが、気分を上向かせてくれるという目的で絞ると案外少ないのかもしれない。マドンナやスウィング・アウト・シスターも気分は上向きそうだが、それだけで事足りれば、苦労はないか・・・。
- さて、最近は、「夢がない」と罵られて妹を殺害してバラバラに刻んでしまったり、生き方が違うと夫を殺して切断して捨てたり、と凄まじい事件ばかりが報道されている。「家族を殺すなんて最低だな」などと呟きながらニュースを観ているためか、毎日が不快でならない。安倍首相が言うところの、美しい国で起きる事件とは到底思えない。何か、すべてが短絡的で近視眼的な行動のようで、「ちょっと落ち着いて考えろよ」と言いたくなってしまう。そもそも人間一人ひとりなんて、小さな存在なのに、その感覚が失せてしまい、目の前にある小さな危機が巨大に見えてしまっているのだろうか。みんな、息が詰まるような緊張感の中で暮らしているらしい。「ちょっと、好きな音楽でも聴いて、心の平静を取り戻しなさいよ」と言いたいところだ。
- 冬の陽だまりは暖かくて心地よい。下町の我が家のリヴィングで、夏は暑くて堪らない南向きの窓辺も、この季節は極楽だ。のんびりと、猫を膝に乗せ、惚けて女性ヴォーカルを聴いていたりすると、日ごろの憂さも蕩けてしまう。一呼吸おいて、「何とかなるさ」「そのうち、いいことあるさ」で、これまでやってこられた自分は、きっとこれからもこんな感じなのだろう。別に勝ち組でもないし余裕もない。仕事はクソ忙しい。それでも、女性ヴォーカルのなかに母性でも見出しているのか、妙に落ち着いた気持ちになれる。カリカリせずに、ちょっとコーヒーでもいれて、深呼吸一つ、気持ちを切り替えることは、現代社会を生き抜いていく上で、結構大事なことなのかもしれない。・・・おお、そういえば、ソニアなんてのもあったな。2002年の「ソニア・シングス・フレンチ・ボッサ」も、この際、気分がよさそうだぞ・・・。
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