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下町音楽夜話

◆第240曲(1)◆ 女性ヴォーカルで蕩けて
2007.1.27
正月早々、マイルス・デイヴィスのアルバムを集中して聴きまくり、ヘトヘトになってしまった。彼はバンドのメンバーに猛烈な緊張を強いていたようで、そのおかげで他のミュージシャンが決して到達することのできない領域にまで踏み入れることができたのだとは思うが、如何せん聴く側も緊張させられるところがある。少々大括りだが、アコースティック期のアルバムは、その音楽のあまりに精緻な美しさを捉えることに夢中になってしまったり、コルトレーンとショーターの比較に夢中になったりと、いった具合だ。一方、エレクトリック期のアルバムは、展開が読めず、混沌の中に小出しにされる美しいフレーズを逃すまいと、自ずと集中してしまう。ただ、ノリがいいだけのファンクとは次元が違う音楽なのだろう。結局のところ、理解できたとは言い難い感触だけが後に残り、何とも疲れ果ててしまうというわけだ。

結局そういうときは、反動がきて、何も考えないで済むハードロックか、芯から癒される女性ヴォーカルなどに走ることになる。今回は後者を、手当たり次第に聴きまくってみた。まず、手にしたのが、ショーン・コルヴィンというフォーキーなシンガー・ソングライターのものだ。彼女は、1990年のデビュー作でいきなりグラミーを受賞し、4作目「ア・フュー・スモール・リペアーズ」でも、再度受賞しているほどだが、日本での知名度が恐ろしく低い。ここしばらくのヒーリング・ブームで少しは注目されるかと思いきや、一向に人気が出たとは聞かない。国によって受け方が違うことは、確かにままあるのだ。日本では受けないというのは、歌詞で売れているものに多いのだが、どうもそういうわけでもなさそうだ。見た目は年齢不詳だが、結構いっている。40歳をすぎても、トライアスロンの大会で上位入賞しているということで、女性は外見からは判断できないという典型である。しかし、あの少女然としたジャケットはサギである。

ショーン・コルヴィンのやさしい歌声は、心に沁みる。疲れきってしまったときや、悲しくなるほど嫌なことがあったときなど、包み込んでくれるような彼女の声が、体の中の細胞に働きかけて元気を取り戻しているような、感覚になれる。「ア・フュー・スモール・リペアーズ」とはよく言ったもので、癒されるというよりも、部分的にちょっと壊れかけた箇所を修復してくれているような歌声だ。これは2001年の「ホール・ニュー・ユー」というアルバムでも変わらず、効果絶大である。また、全然タイプは違うのだが、ハウス/テクノというよりはデジタル・ロックのユニットとでも呼ぶべき、グラスゴーのマッシヴ・アタックのストリングスを面倒みているという、クレイグ・アームストロングにも言えることである。とりわけ、1997年の「スペース・ビトウィーン・アス」など、近未来の酸素吸入カプセルに入れられたような感覚が味わえて、それなりに面白い。

ここしばらくで、一番多く耳にしている女性ヴォーカルは、実はザ・コアーズになる。アイルランドが世界に誇るファミリー・バンドだが、3人の美人姉妹と、えらく才能のあるお兄ちゃんの4人でやっているわけだ。ドラムス以外のほとんどの楽器の演奏やプロデュースなどを、ジム・コアーが請け負っているので、あまり3姉妹ばかりが注目されるのは気の毒な気もするが、やはり3人とも美人だし、ヴォーカルにはちょっとケルティックな要素が感じられ、その微妙なエスニック加減が実に心地よく響くものだから、多くの男性が、彼女らのヴォーカルに癒されていることだろう。しかし、彼女たちを支持しているのが、決して男性ファンばかりでないところが、このグループの面白いところでもある。

とにかく、2001年に発売された「ザ・ベスト・オブ・ザ・コアーズ」は、近年のマイ・フェイヴァリットの相当上位に位置する一枚である。新曲を1曲目に据えて、2曲目からのヒット曲のオン・パレード、「ソー・ヤング」「ランナウェイ」「ブレスレス」と立て続けにくるあたりで、もう完全にまいってしまう。しかもアンプラグド・ライヴからの収録曲もいい感じで収まっているし、フリートウッド・マックのカヴァー「ドリームス」もしっくりときている。自分は大好きなジミ・ヘンドリックスのカヴァー曲「リトル・ウィング」も1999年の名盤「トーク・オン・コーナーズ」に収録されているのだが、できることなら、これも入れておいて欲しかった。・・・少々贅沢な願いか。

次に手にしたのが、エスピリトゥこと、ヴァネッサ・キノネスである。タイプは一転して、ジャズやラテン、ヒップ・ホップなどがミックスされた小洒落た音楽だが、ヨーロッパによくある無国籍的な魅力も兼ね備えており、エスニックな香りがデジタル音に絡む塩梅が絶妙である。彼女のアルバムは、リズムがシンプルな分、どうしても左の耳から入って右から抜けていってしまうような聴きやすさがあり、印象に残る曲が少ないのだが、唯一、バート・バカラックの「オールウェイズ・サムシング・ゼア・トゥ・リマインド・ミー」をしっとりと歌ったカヴァーだけは、歌の上手さもあり、例外である。今回も一度流して聴いた翌日以降も耳に残ってしまい、この曲だけを繰り返し数日間聴き続けてしまった。思うに、彼女の歌は基本がしっかりできているようで、シャキーラあたりに通じるものがある。21世紀になって音楽市場には個性のない女性ヴォーカリストが溢れているが、彼女の場合、その個性は相当に光るものがある。最近ではスマッシング・パンプキンズのジェームス・イハあたりと、ヴァネッサ&ジ・オーズというバンドを組んでいるようだが、もっと脚光を浴びるべき人材のように思えてならない。

癒しということを求めるとなると、やはり以前から聴き馴染んだものの方が相応しいだろう。おそらく、疲れたときに戻る家のようなアルバムというものが、誰にもあるのではなかろうか。自分にも当然ながら、何枚もある。そして今回気がついたのだが、その中に仲間入りしたアルバムが一枚あるのだ。それは、お恥ずかしながら、スウェーデンの歌姫、メイヤのデビュー盤なのである。この盤に収録されている「ハウ・クレイジー・アー・ユー?」は、1996年当時、FM局のJ−WAVEで、それは、それは、ヘヴィ・ローテーションでオン・エアされており、一日に何回も聴かされたものだ。とりたてて好きだったわけではないのだが、結婚したてで自分なりに上向いた気持ちで日々を過ごしていた時期のBGMというわけなのだ。往々にして、音楽との係わり合いなどというものは、そういった個人的な事情に左右されるものではなかろうか。そんなわけで、真冬のこの時期に、マイルスを聴きまくり、疲れたと言って、女性ヴォーカルで蕩けている、しょーもない下町のオヤジであった。