■第36回 『広大な木場公園』 |
02年02月11日 |
- 先日、娘を連れて、木場公園まで散歩に行ってきました(散歩といっても、徒歩ではなくてチャリですけど)。
- あそこは、いいですよね。家族連れで休みの日にちょっとブラブラするのには最適な場所ですね。
- 緑地帯はけっこう広いし、アスレチックやらテニスコートやら遊べるところもかなりありますしね。また江東区のほぼ真中にありますから、江東区民にとっては集まりやすい場所ですね(最も木場公園は区立じゃなく都立なんですけどね。)。
- さて、木場公園のシンボルと言えばあの陸橋ですが、あの橋から隅田川の花火、見えるそうなんです。あんなに遠いのに見えるんでしょうかね。現地周辺は混みますから、人込みのない木場公園はちょっと穴場かもしれません。まあ、あの距離じゃ小さくしかみえないでしょうが・・・
- ところで木場公園って、随分と広いですよねえ。この住宅事情の厳しい東京になんであんな広い土地があるんでしょ(まあ、だいたいどこでも広い公園ってのは、なんかしらの理由があるもんですけどね。)。
- ご存知の通り、木場公園は昔の貯木場、つまり材木置き場や材木商がたくさんあった場所ですね。
- (これに関しては訂正があります。第47回 『木場公園と材木商さん』参照。)
- だから、毎年、木場公園では10月頃、角乗りなんかやったりして昔を偲んでますよね。
- 昔は材木問屋や製材工場もこの辺は多かったんですよね。
- そして、新木場に貯木場が移っちゃって、材木問屋さんたちも向うに引っ越しちゃったので、残ったかつての貯木場を公園にしちゃった訳です。まあ、安易と言えば安易なのですが・・・
- 貯木場って広い土地が必要だから、その後、造成された公園も大きくなっちゃったんですね。
- さて、そう考えると、この辺りに他にも大きな公園ってありますよねえ。そう、猿江恩賜公園。あそこも貯木場だったんですね。一時期、あの辺りに木場はあったんです。
- というか、木場って、結構何度も移転してます。最初は、江戸城修復に貢献した材木商が、大手町近辺に材木町を形成したのがはじまりです。その後、江戸で大火事があって(明暦の大火ってやつです)、佐賀町あたりに移転します。火災防止のためです(木はよく燃えますからねえ)。交通の便もいいですしね(大手町よりは川や海、近いですもんね)。
- その後、市街地拡張のため、今の木場に移ったり、猿江に移ったりして・・・
- 昭和になると、また海が遠くなったんで新木場に移転です。
- 埋め立てが進むと、また何十年か先には引っ越すんでしょうね。
- もうひとつ、最後に面白い話を。
- 木場公園が広いのはわかったんですが、やっぱり無意味にだだっ広いですよね。ちょっと、もったいないような気がしません?
- 実は他にも用途があるんです。実はあそこの地下は地下鉄の寝床になってるんです。つまり車庫。
- 公園を作る時にそこまで計算して作ったんですね。えらい。
- だから大江戸線の終点って中途半端なところの駅でしょ。清澄白河駅。木場公園の車庫が近いからなんです。
- ちなみに、地下鉄車庫としては日本最大の広さだそうです。(あんだけ広きゃ、当り前か)
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